壱岐守いきのかみ)” の例文
武鑑で大名は壱岐守いきのかみ伊賀守いがのかみ周防守すおうのかみであったものが、ここではすべて正二位しょうにいから従五位じゅごいにいたる廷臣としての序列でならんでいる。
武鑑譜 (新字新仮名) / 服部之総(著)
しかし抽斎は玄丈よりも広く世に知られていたので、人がその殊遇しゅぐうめて三年前に目見をした松浦まつうら壱岐守いきのかみはかるの臣朝川善庵あさかわぜんあんと並称した。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
勘蔵は、前の江戸町奉行、松野壱岐守いきのかみの部下だったのを、大岡越前守が就任のとき、たって壱岐守に請うて、越前守が、自分の与力の中へ、もらいうけたものだった。
大岡越前 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
どういう訳か知らないが、この頃、甲府の城へ御老中が巡視においでになるといううわさでありました。しかも、その御老中も小笠原壱岐守いきのかみが来るということでありました。
大菩薩峠:14 お銀様の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
三沢の家は松平壱岐守いきのかみに仕えて、代々二百五十石を取っていた。父は兵庫助といい、彼はその一人息子で、幼い頃ひどく躯が弱かったため、宗観寺という禅寺へ預けられた。
雨あがる (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
一体この堤の草は近所の大名屋敷や旗本屋敷で飼馬かいばの料に刈り取ることになっていまして、筋違から和泉橋いずみばしのあたりは市橋壱岐守いきのかみと富田帯刀たてわきの屋敷の者が刈りに来ていたんですが
半七捕物帳:43 柳原堤の女 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
去定のいった先は松平壱岐守いきのかみ邸であった。それは牛込御門をはいって約二丁、定火消じょうびけしのあるちょっと手前だったが、そこへいき着くまで、去定は絶えまなしに独り言を云い続けた。
というのは、それまでに三度おみきは町奉行所へ呼び出された、町役ちょうやくと家主が付添いで、二度は与力よりきの吟味だったが、三度めには壱岐守いきのかみとかいう町奉行がしらべに当り、おみきを叱りつけた。
枡落し (新字新仮名) / 山本周五郎(著)