名越なごえ)” の例文
ここにつづいて、源実朝みなもとのさねともに触れておこう。実朝は西行が世を去った翌々年、後鳥羽天皇の建久三年(一一九二)八月九日、鎌倉名越なごえの浜御所に生れた。
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)
それとも身軽でハイずんずん行かっせえたもんだで、山越しに名越なごえの方ささっしゃったかも知れましねえ
春昼後刻 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
鎌倉と逗子の境になる光明寺の裏山をうしろに背負ったような地形で、天照山の峯を越え、名越なごえの切通しを上から見おろすあたりまでが庭つづきになっている。
春の山 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
問註所もんちゅうじょの入道さまの名越なごえのお家が焼けたのは正月の十六日、私はその三日あとに父に連れられ御所へあがって将軍家のお傍の御用を勤めるようになったのですが
鉄面皮 (新字新仮名) / 太宰治(著)
中にも、播磨はりまの赤松則村は、京都の手薄を知り六波羅探題を襲はんとしたので、鎌倉幕府は驚いて足利尊氏、名越なごえ高家の両将に、兵を率ゐて救援に上洛せしめた。
二千六百年史抄 (新字旧仮名) / 菊池寛(著)
名越なごえ、立正安国論寺。
五百五十句 (新字旧仮名) / 高浜虚子(著)