勝入しょうにゅう)” の例文
柴田、羽柴、丹羽にわ、滝川、と左右両座にわかれて向いあい、以下、池田勝入しょうにゅう、細川藤孝、筒井順慶、蒲生氏郷がもううじさと、蜂屋頼隆など居流れていた。
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
秀吉は縁に近く、池田武蔵入道勝入しょうにゅう、丹羽五郎左衛門尉さえもんのじょう長秀等以下夫々の座に着いた。広間の庭は、織田家の侍八百人余り、勝家の供侍三百余と共に、物々しい警固だつた。
賤ヶ岳合戦 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
勝三郎信輝は、後の池田勝入しょうにゅうである。強力者だし、戦場往来の若者なので、もとより仮借かしゃくがない。組み敷かれた山伏は、彼のこぶしを一つ喰らうと
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
伊丹いたみの池田信輝も、一子勝九郎しょうくろうともなって、この日、途中から秀吉の軍に投じた。信輝も、今朝出陣の間際に、剃髪ていはつして、名も勝入しょうにゅうとあらためていた。
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
と、励まし、その夜は、自分も家族の一人となって、勝入しょうにゅうのおもい出ばなしに夜をかした。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
義父の勝入しょうにゅうよりも、この日は、かえって若いかれの方が、どことなく、落ちついていた。
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
大垣城の池田勝入しょうにゅうのところへは、同家から信雄への質として、伊勢の長島へやっておいた質人の紀伊守之助ゆきすけ(勝入の長嫡子、二十六歳)が、突然、帰されて来たということだった。
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
大挙して上方かみがたから下って来た秀吉は、敵の小牧山と呼びわせるほどな近距離——楽田村がくでんむらに本陣をすすめ、犬山の城には、岐阜大垣から前進した池田勝入しょうにゅうと、嫡子ちゃくし紀伊守之助きいのかみゆきすけがはいっていた。
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
一面、中川瀬兵衛、高山右近、池田勝入しょうにゅう、堀秀政などの諸将は、一応みなここに部隊司令部を移して、大かがりをかせ、城門外に床几しょうぎをならべて、神戸信孝と秀吉の到着を待つことにしていた。
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
同じことは、先に長久手ながくてで戦歿した池田勝入しょうにゅうについてもいえる。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
勝入しょうにゅうの遺族と共に、大垣の留守でもしておれ)
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)