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入内
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じゅだい
ふりがな文庫
“
入内
(
じゅだい
)” の例文
院が昔このお后の
入内
(
じゅだい
)
の時お贈りになった
髪上
(
くしあ
)
げの用具に新しく加工され、しかももとの形を失わせずに見せたものが添えてあった。
源氏物語:34 若菜(上)
(新字新仮名)
/
紫式部
(著)
兼実の女
宜秋門院
(
ぎしゅうもんいん
)
が後鳥羽天皇の
女御
(
にょうご
)
として
入内
(
じゅだい
)
のときの屏風の歌や、良経邸での歌会の歌やばかりで占められているといってもよい位である。
中世の文学伝統
(新字新仮名)
/
風巻景次郎
(著)
やがて後に
入内
(
じゅだい
)
させたもので——それほどに、後醍醐もよくお遊びに出かけたことが「増鏡」の“秋のみ山”“北野の雪”など随所の巻に
載
(
の
)
っている。
私本太平記:09 建武らくがき帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「自分ほどの身分で、心にまかせぬことがあるものか」と天皇は勝手に
入内
(
じゅだい
)
の日取まで決めてしまったのである。ここまできてはもう、どうにも仕方がなかった。
現代語訳 平家物語:01 第一巻
(新字新仮名)
/
作者不詳
(著)
青年不比等と妻賀茂姫とのあいだに生誕された宮子は、やがて文武天皇に
入内
(
じゅだい
)
し、聖武天皇を生みまいらせた。
即
(
すなわ
)
ち帝にとって不比等は最も親しい外戚にあたる。
大和古寺風物誌
(新字新仮名)
/
亀井勝一郎
(著)
▼ もっと見る
主人公光源氏の母桐壺の
更衣
(
こうい
)
の寵愛の話より始めて、源氏の出生、周囲の嫉視による桐壺の苦難、桐壺の死、桐壺の母の嘆き、帝の悲嘆、源氏の幼年時代、桐壺に酷似せる藤壺の更衣の
入内
(
じゅだい
)
日本精神史研究
(新字新仮名)
/
和辻哲郎
(著)
自身の心もまだどうなるかしれないのであるから、前斎宮を
入内
(
じゅだい
)
させる希望などは人に言っておかぬほうがよいと源氏は思っていた。
源氏物語:14 澪標
(新字新仮名)
/
紫式部
(著)
で、ついにまた
入内
(
じゅだい
)
をやむなくしたが、前にもまして廉子が
恐
(
こわ
)
く、また廉子の目もなんとなくほかの
寵妃
(
ちょうひ
)
を見るのとちがい、自分へのみはすさまじく思われて仕方がない。
私本太平記:10 風花帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
のちにはまた何事も素知らぬ顔で二条の院へ斎宮を迎えて、
入内
(
じゅだい
)
は自邸からおさせしようという気にも源氏はなった。夫人にその考えを言って
源氏物語:14 澪標
(新字新仮名)
/
紫式部
(著)
天子でおいでになるのではないから
入内
(
じゅだい
)
の式とも違い、親王夫人の
入輿
(
にゅうよ
)
とも違ったものである。
源氏物語:34 若菜(上)
(新字新仮名)
/
紫式部
(著)
この人は帝の最もお若い時に
入内
(
じゅだい
)
した最初の女御であった。この女御がする批難と恨み言だけは無関心にしておいでになれなかった。この女御へ済まないという気も十分に持っておいでになった。
源氏物語:01 桐壺
(新字新仮名)
/
紫式部
(著)
帝
(
みかど
)
にも宮仕えを深く希望することを大臣は申し上げてあったので、もう妙齢に達したはずであると、年月をお数えになって
入内
(
じゅだい
)
の御催促が絶えずあるのであるが、
中宮
(
ちゅうぐう
)
お一人にますます
寵
(
ちょう
)
が集まって
源氏物語:46 竹河
(新字新仮名)
/
紫式部
(著)
前斎宮
(
ぜんさいぐう
)
の
入内
(
じゅだい
)
を女院は熱心に促しておいでになった。
源氏物語:17 絵合
(新字新仮名)
/
紫式部
(著)
“入内”の意味
《名詞》
入内(じゅだい)
皇后、中宮となる女性が正式に内裏に入ること。
(出典:Wiktionary)
入
常用漢字
小1
部首:⼊
2画
内
常用漢字
小2
部首:⼌
4画
“入内”で始まる語句
入内治定