元暦げんりゃく)” の例文
義経が宗盛親子をつれ鎌倉へ旅立ったのは、元暦げんりゃく二年五月七日のことである。途中、次第に遠ざかる都の景色に離れ難い思いを味わいながら、逢坂おうさかの関まで来た。
古鈔本中元暦げんりゃく校本に朱書で或ウネメノとあるに従って訓んだが、なおオホヤメノ(神)タオヤメノ(文)の訓もあるから、旧訓或は考の訓によって味うことも出来る。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
「思い出した——この辺りの浦々や島は、元暦げんりゃくの昔、九郎判官殿はんがんどのや、たいら知盛卿とももりきょうなどの戦の跡だの」
宮本武蔵:08 円明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そして源頼朝よりともが鎌倉へ幕府の基礎を置いた元暦げんりゃく元年に、有名な『元暦校本万葉集』が成った。
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)
四月一日、年号が変り元暦げんりゃくとなった。この年、頼朝は、一躍、従五位下から正四位下に昇った。
あくる日。——それは元暦げんりゃく元年の正月十日、義仲は、後白河法皇を奉じて、北陸道へ落ちようと企てたが、それは、失敗に終って、その日も、彼の身辺は、酒と、区々まちまちな軍議に暮れてしまった。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)