信濃守しなののかみ)” の例文
それに、出稽古さきの諸家しょけ——松平和泉守いずみのかみ、戸田内膳、堀田信濃守しなののかみ、松平備後守びんごのかみ、板倉伊賀守らから、その係りの人が出席した。
花も刀も (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
十内、齢十七歳、捨ててあった刀を証拠に森の城主——豊後国——久留島くるしま信濃守しなののかみ光通みつのぶに敵討願いを軍右衛門が一子六歳になる清十郎と連署で願出た。
相馬の仇討 (新字新仮名) / 直木三十五(著)
この寛永の大造営には、酒井さかい備後守びんごのかみ永井ながい信濃守しなののかみ井上いのうえ主計頭かずえのかみ土井どい大炊頭おおいのかみ、この四名連署の老中書付、ならびに造営奉行秋元あきもと但馬守たじまのかみのお触れ書が伝えられている。
丹下左膳:03 日光の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
信濃守しなののかみがしゃべっていると、ちょうッ、と秀吉よこ手を打って
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
石川日向ひゅうが様は横に長くて、この一構が通りを距てて宗対馬守そうつしまのかみと大関信濃守しなののかみの二棟に当る。
彼は十四歳のとき、藩主の信濃守しなののかみ政利に論語の講義をした。岡島梅蔭という藩儒の推薦だそうで、講義は一年ちかく続けられ、終ったときには国広の短刀と、銀二十五枚を褒賞ほうしょうされた。
屏風はたたまれた (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
信濃守しなののかみは、よそごとにらしていた頭脳あたままして
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
信濃守しなののかみ目礼もくれいして宿所しゅくしょへかえる。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)