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さくまちょう
ふりがな文庫
“
佐久間町
(
さくまちょう
)” の例文
佐久間町
(
さくまちょう
)
の辻で三枚駕籠をやとい宙を飛んで数寄屋橋うちのお役宅へ乗りつけると、甲斐守はついさっき本丸へおあがりになったというところ。
顎十郎捕物帳:11 御代参の乗物
(新字新仮名)
/
久生十蘭
(著)
徳川家が
瓦解
(
がかい
)
になって、明治
四五年
(
しごねん
)
の頃
大分
(
だいぶ
)
宿屋が出来ましたが、
外神田松永町
(
そとかんだまつながちょう
)
佐久間町
(
さくまちょう
)
あの辺には其の頃大きな宿屋の出来ましたことでございますが
西洋人情話 英国孝子ジョージスミス之伝
(新字新仮名)
/
三遊亭円朝
(著)
湯島のほうから延びて来る火は、もう
佐久間町
(
さくまちょう
)
あたりの大名屋敷を焼きはじめたとみえ、横さまに吹きつける風は
燻
(
いぶ
)
されたように、煙と熱気に充ちていた。
柳橋物語
(新字新仮名)
/
山本周五郎
(著)
未
(
ひつじ
)
の刻に
佐久間町
(
さくまちょう
)
二丁目の琴三味線師の家から出火して、日本橋方面へ焼けひろがり、翌朝卯の刻まで焼けた。「八つ時分三味線屋からことを出し火の手がちりてとんだ大火事」
護持院原の敵討
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
さて、その翌朝、神田
佐久間町
(
さくまちょう
)
の裏長屋、どんづまりの二間きりのボロ長屋でとど助がまだ高鼾で寝くたばっているのを、アコ長が、ひどく勢いこんでゆり起す。
顎十郎捕物帳:17 初春狸合戦
(新字新仮名)
/
久生十蘭
(著)
▼ もっと見る
抽斎はこの詩を作ってから三年の
後
(
のち
)
、
弘化
(
こうか
)
元年に
躋寿館
(
せいじゅかん
)
の講師になった。躋寿館は
明和
(
めいわ
)
二年に
多紀玉池
(
たきぎょくち
)
が
佐久間町
(
さくまちょう
)
の天文台
址
(
あと
)
に立てた医学校で、
寛政
(
かんせい
)
三年に幕府の
管轄
(
かんかつ
)
に移されたものである。
渋江抽斎
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
屋台も一度売ってしまって、
佐久間町
(
さくまちょう
)
の古道具屋の店に出ていたのを、わけを話して取り返したと云うことです。そんな事やら、引越やらで、随分掛かった筈ですから、さぞ困っていますでしょう。
雁
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
当時の
江戸分間大絵図
(
えどぶんけんおおえず
)
というものを
閲
(
けみ
)
するに、
和泉橋
(
いずみばし
)
と
新橋
(
あたらしばし
)
との間の
柳原通
(
やなぎはらどおり
)
の少し南に寄って、西から東へ、お
玉
(
たま
)
が
池
(
いけ
)
、
松枝町
(
まつえだちょう
)
、弁慶橋、
元柳原町
(
もとやなぎはらちょう
)
、
佐久間町
(
さくまちょう
)
、
四間町
(
しけんちょう
)
、
大和町
(
やまとちょう
)
、
豊島町
(
としまちょう
)
という順序に
渋江抽斎
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
“佐久間町”の解説
佐久間町(さくまちょう)は、静岡県に存在した町。磐田郡に属していた。県西部(遠州)の北遠と呼ばれる地域にあった。
2005年(平成17年)7月1日、周辺10市町村とともに浜松市へ編入合併され消滅した。同時に地方自治法第202条の4に基づく「佐久間地域自治区」が設置された。2007年(平成19年)4月1日に浜松市が政令指定都市へ移行したことに伴い、天竜区の一部となった。政令市化後も佐久間地域自治区は存続したが、2012年(平成24年)3月31日をもって廃止された。
(出典:Wikipedia)
佐
常用漢字
小4
部首:⼈
7画
久
常用漢字
小5
部首:⼃
3画
間
常用漢字
小2
部首:⾨
12画
町
常用漢字
小1
部首:⽥
7画
“佐久間町”で始まる語句
佐久間町河岸