仮小屋かりごや)” の例文
大坂おおさかはまだ三ごうとも、城下じょうかというほどな町を形成けいせいしていないが、急ごしらえの仮小屋かりごやが、まるでけあとのようにできている。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
仮小屋かりごやまくうちまたは青空の下で、賞翫しょうがんする場合のほうが昔から多く、それはまたわたしたちの親々の、なにか変った仕事をする日でもあった。
母の手毬歌 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
昔の藁屋は仮小屋かりごやで、それにいつまでも住んでいなければならぬのは、よっぽど貧しい人だけであった。
母の手毬歌 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
よその民族の田舎家いなかやとくらべても、または素人しろうと仮小屋かりごやなどとくらべて見てもすぐにわかるが、日本の萱葺きには、たいへんな手のかかった見ごとなものがすくなくない。
母の手毬歌 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
この猟師半分ばかり道を開きて、山の半腹に仮小屋かりごやを作りておりしころ、る日の上にもちをならべ焼きながら食いおりしに、小屋の外を通る者ありてしきりに中をうかがうさまなり。
遠野物語 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
その理由の一つは、どんな大きな声で耳の割れるほどわめいてもよかったこと、それから今一つは子どもばかりで、二夜も三夜も屋外の仮小屋かりごやに、親を離れて寝起ねおき飲食するということであった。
こども風土記 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
山中をさまようて危害の身に及ぶに心づかず、しばしば里の人の仮小屋かりごやを訪問して、それほどまでに怖れ嫌われていることを知らなかったという例は、主として霧島連峯中の山人の特質であった。
山の人生 (新字新仮名) / 柳田国男(著)