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中山靖王
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ちゅうざんせいおう
ふりがな文庫
“
中山靖王
(
ちゅうざんせいおう
)” の例文
という仔細は、臣が祖先は
中山靖王
(
ちゅうざんせいおう
)
の
後胤
(
こういん
)
、景帝の
玄孫
(
げんそん
)
にあたり、
劉雄
(
りゅうゆう
)
が孫、
劉弘
(
りゅうこう
)
の子こそ、不肖玄徳でありまする。
三国志:05 臣道の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
私の仕えている劉予州の君は、正しく、
中山靖王
(
ちゅうざんせいおう
)
の後、漢の景帝の玄孫にあたらせられるお方です。
三国志:07 赤壁の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
時に、わが君劉玄徳には、その血液に漢室の正脈をつたえ、その義においては、救世の実を天地に誓う。すなわち
中山靖王
(
ちゅうざんせいおう
)
の
後裔
(
こうえい
)
におわし、現皇帝の皇叔にあたられる。
三国志:08 望蜀の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
これは自称して、
中山靖王
(
ちゅうざんせいおう
)
の
末裔
(
まつえい
)
とはいい給えど、
聞説
(
きくならく
)
、その生い立ちは、
蓆
(
むしろ
)
を織り
履
(
くつ
)
を
商
(
あきの
)
うていた賤夫という。——これを較ぶるに、いずれを珠とし、いずれを瓦とするや。
三国志:07 赤壁の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
けれど自分は何をつつもう、漢の
中山靖王
(
ちゅうざんせいおう
)
劉勝
(
りゅうしょう
)
の
後胤
(
こういん
)
で、景帝の玄孫にあたるものです。
三国志:02 桃園の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
▼ もっと見る
朕
(
ちん
)
は、弱冠のときより関羽、張飛と
刎頸
(
ふんけい
)
の
交
(
まじ
)
わりを結び、
戎馬奔命
(
じゅうばほんめい
)
の中に生きること三十余年、ようやく蜀を定めて後、諸人は、朕が
中山靖王
(
ちゅうざんせいおう
)
の
裔
(
えい
)
であるところから帝位に推しすすめ
三国志:10 出師の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
お
祖父
(
じい
)
様も、おまえのように
沓
(
くつ
)
を作り
蓆
(
むしろ
)
を織り、土民の中に埋もれたままお果てなされてはいるけれど、もっともっと先のご先祖をたずねれば、漢の
中山靖王
(
ちゅうざんせいおう
)
劉勝
(
りゅうしょう
)
の正しい血すじなのですよ。
三国志:02 桃園の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「されば、自分の郷家は
涿県
(
たくけん
)
で、家系は、
中山靖王
(
ちゅうざんせいおう
)
の
後胤
(
こういん
)
であります。久しく土民の中にひそんでいましたが、この度ようやく、黄巾の乱に小功あって、当県の尉に叙せられた者であります」
三国志:02 桃園の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
つまり景帝の第七子
中山靖王
(
ちゅうざんせいおう
)
の
裔
(
えい
)
は、地方官として朝廷を出、以後数代は地方の豪族として栄えていたが、諸国の治乱興亡のあいだに、いつか家門を失い、土民に流落して、
劉玄徳
(
りゅうげんとく
)
の両親の代には
三国志:05 臣道の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
中
常用漢字
小1
部首:⼁
4画
山
常用漢字
小1
部首:⼭
3画
靖
漢検準1級
部首:⾭
13画
王
常用漢字
小1
部首:⽟
4画
“中山”で始まる語句
中山
中山道
中山世鑑
中山高
中山伝信録
中山越
中山服
中山府
中山寺
中山崎