下拙げせつ)” の例文
そこへゆくと下拙げせつの如く定石から打ち込んだものには、悠揚として迫らぬところがある、よし勝負には負けても碁には勝つというものじゃ。
おれはきょうは堀備中守ほりびっちゅうのかみさまのお羽織を着ている、イヤ、きょうの下拙げせつの紋は、捧剣梅鉢ほうけんうめばち加賀中納言様かがちゅうなごんさまだゾ——なんかといったあんばい。
丹下左膳:02 こけ猿の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
下拙げせつニ於ても一言、神戸へまて申遣まうしつかは度儀たきぎ(これあり)、又先刻御談申せし儀も有て、薩邸ニも早々参多まゐりたし。
下拙げせつ僅かの人数引連れて、出口に固めさせ、打込候者は、拙者始め、沖田、永倉、藤堂、倅周平、右五人に御座候。
「明治四年辛未十月下拙げせつ(翁)退隠。栄家督。其後栄病死す。只圓のみ相続す」
梅津只円翁伝 (新字新仮名) / 夢野久作杉山萠円(著)
睡気ざましの、いや、夜床の中で眠気を誘うための読物だからとて、ああまで時代の考証を無視していいものだとは下拙げせつには考えられませぬ。
仇討たれ戯作 (新字新仮名) / 林不忘(著)
「おやおや、お前様も碁をお打ちなさるか。それはそれは、お若いに頼もしいことじゃ。金公では下拙げせついささか喰い足りずと思うていたところ、さあ遠慮なくいらっしゃい」
「火には水というてきがあります。もえてえだけもえりゃア消えやしょう。下拙げせつはいま一ねむり……」
丹下左膳:02 こけ猿の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
……折悪をりあしく局中病人多く、僅々三十人、二ヶ所の屯所に分れ、一ヶ所、土方歳三を頭として遣はし、人数多く候処、其方には居り合ひ申さず、下拙げせつ僅々人数引連れ出で、出口を固めさせ
大菩薩峠:17 黒業白業の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
自分のことを下拙げせつなどと、これが七、八つの子供の言いぐさですからイヤどうも顔負けです。
丹下左膳:02 こけ猿の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)