三石みついし)” の例文
直義の大軍勢は、破竹はちくの勢いで、備前和気郡の三石みついしへかかっていた。——船坂峠へかけて、ここは山陽第一のけんといわれる砦である。
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
また小沢岳から三番手山(千七百九十米四の三角点を含む山)、三石みついし山(千六百二十一米の峰)に至る迄とは、遠望した所ではさしたる事も有るまいと見たが
利根川水源地の山々 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
そして倉光三郎などと連れ立って下る途中、一行は備前の三石みついしの宿に泊ったが、折柄兼康に親しい者たちが酒を持参して訪れたので、宴が開かれ深更に及んだ。
大山峠を経て三里三石みついし駅。中屋弥二郎兵衛の家に休す。是より備前なり。二里片上駅。京屋庄右衛門の家に宿し、夜兼松弥次助と海浜蛭子祠ひるこのしに納涼す。此地山廻て海入る。しかして山みな草卉にして木なし。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
一片の三石みついしの昆布
貝鍋の歌 (新字新仮名) / 中谷宇吉郎(著)
すでにきのうあたり、海上の敵数千ぞうは、むろをうずめ、陸上軍も、福山、三石みついしを抜いて、破竹はちく播磨はりまざかいへせまッて来つつあるという。
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
すなわち一軍は、西大川、真可上まかがみ和気わけ金谷かなやを経て三石みついしに至る旧道をすすむ。また一軍は、国府市場、沼、長船おさふねを通って西片上に出、三石に合する。
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
かくて義助の一軍は、ここの膠着こうちゃくをすてて、船坂、三石みついしの敵をやぶり、備前に入って、福山ノ城をも抜いた。
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その勢いを駆ッて、陸上軍は、大安寺(岡山市の西)の松田一族を打ち、すすんで三石みついし城(船坂峠)に突ッかけてゆく予定——と使いは口上を述べ終ると、すぐ馬をとばして帰った。
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
播州赤穂郡から備前三石みついしに入る国境であり山陽道一の険路でもあるので、ここでは源平争覇の時代から天下異変というとすぐ武族の充血や築塁ちくるいが見られ、とかく戦場にされやすい宿命の土だった。
私本太平記:05 世の辻の帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)