三之助さんのすけ)” の例文
諭吉ゆきちは、そのおとうさんのすえっとして大阪おおさかまれました。いちばんうえにいさんの三之助さんのすけで、そのしたに三にんのねえさんがありました。
名人とよばれた太海三之助さんのすけの一人息子でありましたが、海亀うみがめを助けてやつて、海亀に助けられたところから浦島うらしまといふあだ名がついて、後には浦島今太郎といふ通名とほりなになつて
動く海底 (新字旧仮名) / 宮原晃一郎(著)
配偶つれあいは五年前に亡くなりましたが、たった一人のせがれ三之助さんのすけは、年寄りっ子の我儘わがまま育ちで、悪遊びから、とうとう勝負事にまで手を出すようになり、金看板のやくざ者になって
「そうでござります。どういうお詮議せんぎで塗町の父のほうへ参られましたか知りませぬが、てまえはあの岡三庵おかさんあんのせがれでござります。血を分け合った一粒種の三之助さんのすけと申すものでござります」
ところが、そのとき、にいさんの三之助さんのすけが、ほご(ものをかきそこなって、不用ふようになったかみ)を部屋へやいっぱいにひろげて、整理せいりをしていました。
にいさんの三之助さんのすけは、おとうさんのあとをついで、したっぱの役人やくにんになっていました。いとこたちも、仕事しごとについているものはしたっぱの役人やくにんばかりでした。