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ようおうのう
昇導きまいらせて
観に至れば、
恰も
已に薄暮なりけり。陸路よりして
楊応能、
葉希賢等十三人同じく至る。
九年春、白龍庵
有司の
毀つところとなる。夏建文帝
浪穹鶴慶山に至り、
大喜庵を建つ。十年
楊応能卒し、
葉希賢次いで卒す。帝
因って
一弟子を
納れて
応慧と名づけたもう。
万乗の君主金冠を
墜し、
剃刀の冷光
翠髪を
薙ぐ。悲痛何ぞ
能く
堪えんや。
呉王の教授
揚応能は、臣が名
度牒に応ず、願わくは祝髪して
随いまつらんと
白す。