“みかは”のいろいろな漢字の書き方と例文
語句割合
三河46.2%
見交30.8%
實川7.7%
参河7.7%
參河7.7%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
肯定に伴ふ新流行の「とても」は三河みかはの国あたりの方言であらう。現に三河の国の人のこの「とても」を用ゐた例は元禄げんろく四年に上梓じやうしされた「猿蓑さるみの」の中に残つてゐる。
澄江堂雑記 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
青木さん夫婦ふうふはこのごろにないりのある、明るい氕持きもちで、希望きばう信頼しんらい笑顏えがほたがひにぢつと見交みかはし合つた。
(旧字旧仮名) / 南部修太郎(著)
左すれば宮川歩道(實川みかは歩道の誤?)で、後者は孫兵衞山を通過して實川上流の硫黄澤赤倉澤落合の附近迄下りてゐる事を後に知つた。
黒岩山を探る (旧字旧仮名) / 沼井鉄太郎(著)
地形圖に此の田代の標示がないのはちと首肯しがたい。實川みかはの谷は森の内に深く隱れて見えなかつたが、矢櫃平は手に取る樣に見えた。
黒岩山を探る (旧字旧仮名) / 沼井鉄太郎(著)
愷の出入扶持には猶参河みかは吉田の松平伊豆守信古のぶひさの給する五人扶持、上野かうづけ高崎の松平右京亮輝聡てるとしの給する二人扶持、播磨姫路の酒井雅楽頭忠顕うたのかみたゞあきの給する若干口があつた。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
岡山は初晴後陰、北方は初陰後晴であつた。讃岐は陰、筑前は晴であつた。播磨は陰、摂津(須磨)は晴、山城(京都)は陰、大和(吉野)は大風、伊勢は風雨、参河みかは(岡崎)は雨であつた。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
入國とは頼房が慶長十四年に水戸城に入つたことを指すのである。此眞志屋始祖西村氏は參河みかはの人で、過去帳に據ると、淺譽日水信士と法諡ほふしし、元和二年正月三日に歿した。
寿阿弥の手紙 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)