“ながよし”のいろいろな漢字の書き方と例文
語句割合
長可41.7%
長吉25.0%
永珍8.3%
永福8.3%
長慶8.3%
長義8.3%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
佐久間右衛門尉うえもんのじょう信盛、池田庄三郎信輝、滝川左近将監一益、丹羽長秀なんぞの勇将が控え、以上四陣地の東方には、蒲生忠三郎氏郷うじさと、森庄蔵長可ながよし、木下藤吉郎秀吉、明智十兵衛光秀等が陣した。
長篠合戦 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
浅野長吉ながよし、杉原家次いえつぐ、黒田官兵衛、細川忠興ただおき、高山右近長房ながふさ蒲生氏郷がもううじさと筒井順慶つついじゅんけい、羽柴秀長、堀尾茂助吉晴ほりおもすけよしはる、蜂須賀小六家政いえまさ、稲葉入道一鉄いってつ——など。
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ところが、それは宮方では屈指くっしな柳生播磨守永珍ながよしの手勢だった。
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
登ってゆくと、助右衛門永福ながよしは、やや攻勢をゆるめた寄手の様子に、矢倉の壁にりかかったまま、うとうとと、居眠りしていた。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
中国の武士山内源五兵衛やまのうちげんごべえという者が武者修行にあるいていた記載があり、また、十三代将軍義輝よしてるの天文二十二年に、三好長慶ながよしとの合戦に際して
随筆 宮本武蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
夜来やらい、ここへ呼び集められていたのは、長年の子、小次郎長義ながよし、孫三郎基長もとなが、六郎太義氏よしうじ、いちばん末子の竹万丸。
私本太平記:06 八荒帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)