“ながくぼ”のいろいろな漢字の書き方と例文
語句割合
長久保60.0%
長窪40.0%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
過ぎ曲折して平地にいづれば即ち長久保ながくぼなり宿しゆく家並やなみよく車多し石荒坂にて下駄黨も草鞋派も閉口したればこゝより車に乘る此邊平地とは云へ三方山にて圍ひ一方は和田峠に向ツて進むなれば岩大石ゴロタ石或ひは上り或は下る坂とまでならねど凸凹でこぼこ多く乘る者は難儀なれど挽夫ひくものは躍るもガタツクも物とは
木曽道中記 (旧字旧仮名) / 饗庭篁村(著)
ちょうど松本藩主松平丹波守まつだいらたんばのかみから派遣せられた三百五十人ばかりの兵は長窪ながくぼの陣地を退いて、東餅屋に集まっている時であった。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
そのの伝吉の一生はほとんどこの怒のために終始したと云ってもよい。伝吉は父をほうむったのち長窪ながくぼにいる叔父おじのもとに下男げなん同様に住みこむことになった。
伝吉の敵打ち (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
いよいよ水戸浪士がその日の晩に長窪ながくぼ和田両宿へ止宿のはずだという風聞が伝えられるころには、諏訪藩の物頭ものがしら矢島伝左衛門でんざえもんが九人の従者を引き連れ和田峠御境目おさかいめ詰方つめかたとして出張した。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
(註五)「」はこのあいだに伝吉の枡屋の娘を誘拐ゆうかいしたり、長窪ながくぼ本陣ほんじん何某へ強請ゆすりに行ったりしたことを伝えている。これも他の諸書に載せてないのを見れば、軽々けいけい真偽しんぎを決することは出来ない。
伝吉の敵打ち (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)