“ぢしよう”の漢字の書き方と例文
語句割合
治承100.0%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
やがて來(こ)む壽永(じゆえい)の秋の哀れ、治承(ぢしよう)の春の樂みに知る由もなく、六歳(むとせ)の後に昔の夢を辿(たど)りて、直衣(なほし)の袖を絞りし人々には、今宵(こよひ)の歡曾も中々に忘られぬ思寢(おもひね)の涙なるべし。
滝口入道 (旧字旧仮名) / 高山樗牛(著)
治承(ぢしよう)四年の秋のはじめ、蛭ヶ小島に於て頼朝が旗をあぐるといふ噂、ひそかに都へもきこえたれば、われ眞先に見參に入り申さんと、忍んで伊豆へ下りしが、浪人のかなしさには馬も有たず
佐々木高綱 (旧字旧仮名) / 岡本綺堂(著)
窺はば鎌倉の治世覺束(おぼつか)なかるべし抔(など)語合ふ思(おもへ)ば治承(ぢしよう)の昔し頼朝には北條時政といふ大山師(おほやまし)が付き義經には奧州の秀衡(ひでひら)といふ大旦那(だいだんな)あり義仲には中三權頭兼遠(ちうさんごんのかみかねとほ)といふわづかの後楯(うしろだて)のみなりしに心逞ましき者なればこそ京都へ度々忍び上(のぼ)つて平家の動靜を
木曽道中記 (旧字旧仮名) / 饗庭篁村(著)
時は治承(ぢしよう)の春、世は平家の盛、そも天喜(てんぎ)、康平(かうへい)以來九十年の春秋(はるあき)、都も鄙(ひな)も打ち靡きし源氏の白旗(しらはた)も、保元(ほうげん)、平治(へいぢ)の二度の戰(いくさ)を都の名殘に、脆くも武門の哀れを東海の隅に留めしより
滝口入道 (旧字旧仮名) / 高山樗牛(著)