“さかき”のいろいろな漢字の書き方と例文
カタカナ:サカキ
語句割合
88.9%
賢木5.6%
彭城1.9%
佐柿1.9%
坂城1.9%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
ある時、葛籠屋つづらやの店蔵に荒莚あらむしろを敷いた段をつくって、段上に丸鏡とさかきと燈明をおき神縄しめを張り、白衣の男が無中になって怒鳴っていた。
次に天のカグ山のしげつた賢木さかき根掘ねこぎにこいで、うえの枝に大きな勾玉まがたまの澤山の玉の緒を懸け、中の枝には大きな鏡を懸け、下の枝には麻だのこうぞの皮のさらしたのなどをさげて
彦次郎の実父を彭城さかき仁兵衛と云つた。文書に「享和三亥年二月十日小通事並せうつうじなみ被仰付」とあり、又「文化二丑年五月十六日より銀四貫目」とある。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
長崎の劉氏は多くは大通事彭城さかき氏の族である。游竜は彭城彦二郎と称してゐたものではなからうか。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
雨の中を、戸外の人影が立ち去ると、秀吉はすぐ佐柿さかき弥右衛門を室内にかえりみて
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
いまから十余年前までの村上氏というものは、北信濃一円を威令して、坂城さかき葛尾くずのおの城を中心に、祖先鎮守府将軍源頼義の一族が末裔まつえいとして、誰も仰ぎ敬う位置に栄えていたものである。
上杉謙信 (新字新仮名) / 吉川英治(著)