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えきじゅう
そこに無理に作った
遣瀬無い思いや不如意の
果敢なさを、今度は常情以上の悲痛な
液汁にして、まるで酢を好む人のようにも先生は
貪り
啜ったのかも知れません。
蟒の
腹腔に穴をあけ、その消化器官の
液汁を、丹念に採集したのです。
茝庭、名は
元堅、
字は
亦柔、一に
三松と号す。通称は
安叔、
後楽真院また楽春院という。寛政七年に
桂山の次男に生れた。
本家では
桂山、名は元
簡、字は
廉夫が、抽斎の生れた文化二年には五十一歳、その子
柳沜、名は
胤、字は
奕禧が十七歳、末家では
茝庭、名は
元堅、字は
亦柔が十一歳になっていた。