かわ)” の例文
夜来の烈しい血しおのうごきが、自然、口腔こうこうかわかせて来るのであろう。彼はさっきから頻りに一杯の水を欲しがっていたのである。
上杉謙信 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そうして、そのさけみずには、ことごとくどくれておきました。大将たいしょうは、てきがきっとはららして、のどをかわかしてくるにちがいない。
酒倉 (新字新仮名) / 小川未明(著)
吾々われ/\覺醒かくせいせりとさけぶひまに、私達はなほ暗の中をわが生命いのちかわきのために、いづみちかしめりをさぐるおろかさをりかへすのでした。
冬を迎へようとして (旧字旧仮名) / 水野仙子(著)
彼等は、幽霊船の出てくる前には、えとかわきとで、病人のようにへたばっていたのに、いまは戦士のように元気にふるい立っている。
幽霊船の秘密 (新字新仮名) / 海野十三(著)
私はもう、何もかもそうと自分の心でめてしまった。そうすると、胸が無性にもやもやして、口がいやかわきを覚えてたまらない。
黒髪 (新字新仮名) / 近松秋江(著)
『人はパンのみにて生くる者に非ず、唯神の凡のことばによる』といふ主の御いましめ、或は『若し爾曹なんぢら我が爲に飢ゑかわく事あらば爾曹なんぢら幸なり』
かわいた時水を飲むのは病毒を嚥下のみくだすという危険があるばかりでなく、胃中へ水がまって吸収されませんから非常に消化器を害します。
食道楽:冬の巻 (新字新仮名) / 村井弦斎(著)
遠方で打つ大砲の響きを聞くような、みちのない森に迷い込んだような心地がして、のどかわいて来て、それで涙が出そうで出ない。
まぼろし (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
のどかわいた人たちがいないというわけでもなかったが、その渇きは水甕みずがめよりもむしろ酒びんをほしがるようなたぐいのものだった。
苦悩がなければ倦怠けんたいするかもしれないのであったが、それにしても彼はここいらで、どうか青い空に息づきたいという思いにかわいていた。
仮装人物 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
しかし救うべからざる怠惰者なまけもので、その凡庸な域を脱するために努力をするよりもむしろ、飢え死にかかわき死にかする方を好むほどだった。
ゆえに神経質しんけいしつなる僕のごとき者は、(僕と同感の青年が何万とあったろう)すがりよって、教えを求めようとかわいていたものである。
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
「それなんです。近頃頭痛がして、無暗にのどかわいて、胸騷ぎがして叶はねえからその有難い藥でも頂いて見ようかと、う思ふんですが」
そこで杉の木の下に寝たがのう、のどかわいて仕方しかたないから、さるめに水がほしいと言うとな、猿めがいきなりそこを掘り始めた。
キンショキショキ (新字新仮名) / 豊島与志雄(著)
夕方の行水ぎょうずいにも湯ざめを恐れ、咽喉のどかわきも冷きものは口に入るることあたはざれば、これのみにても人並の交りは出来ぬなり。
矢はずぐさ (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
ここへ来て立っている竜之助は、血にかわいていました。たった今は両国橋の上で、斬って捨つべかりし人を斬り損ないました。
大菩薩峠:17 黒業白業の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
好いものでありさえすれば仮令たとえいかなる人の有っているものでも、それを受納うけいれるに躊躇ちゅうちょしなかったほど、それほど心のかわいていた捨吉は
桜の実の熟する時 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
詩人蕪村の心が求め、孤独の人生にかわきあこがれて歌ったものは、実にこのスイートホームの家郷であり、「炉辺ろへん団欒だんらん」のイメージだった。
郷愁の詩人 与謝蕪村 (新字新仮名) / 萩原朔太郎(著)
もし相手がお嬢さんでなかったならば、私はどんなに彼に都合のいい返事を、そのかわき切った顔の上に慈雨じうの如くそそいでやったか分りません。
こころ (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
しかしそのタラーの水も無駄にはならん。それを飲むとのどかわきを止めるにはごく都合がよい。少し酸味はあるがなかなか味のよいものです。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
慾張よくばり抜いて大急ぎで歩いたからのどかわいてしようがあるまい、早速さっそく茶を飲もうと思うたが、まだ湯がいておらぬという。
高野聖 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
このままいったらどうなることか、通りすがりにただ見ただけでも、カサカサと咽喉のどかわいてゆくような感じだった。
山県有朋の靴 (新字新仮名) / 佐々木味津三(著)
彼は何となく男の本能から悸乎ぎょつとした。美しい人びとの往来する朱雀大路すざくおおじを思うだけでも、永い間田舎に住んだかわきがそこで充たされそうであった。
津の国人 (新字新仮名) / 室生犀星(著)
ぼうさんは一にちさびしいみちあるきつづけにあるいて、おなかはすくし、のどはかわくし、なによりもあしがくたびれきって、このさきあるきたくもあるかれなくなりました。
安達が原 (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
誰でも飢えた時かわいた時には食物や水がうまいものであろうが、その時の朝風は実にその食物や水よりもはるかに心持よく、自分は気が清々せいせいとして来た。
初恋 (新字新仮名) / 矢崎嵯峨の舎(著)
政治界でも実業界でも爺さんでなければ夜も日も明けない老人万能で、眼前の安楽や一日の苟安こうあんを貪る事無ことなかれ主義に腰を叩いて死慾しによくばかりかわいている。
兄弟よ、愛の徳われらのこゝろしづめ、我等をしてわれらのつ物をのみ望みて他の物にかわくなからしむ 七〇—七二
神曲:03 天堂 (旧字旧仮名) / アリギエリ・ダンテ(著)
旅のかわきをいやすため、ステファアヌ・マラルメがでた果実、「理想のにがみに味つけられた黄金色こがねいろのシトロン」
この僧は気を吸うことを習っていたので、別に飢えもかわきも感じなかったが、連れの僧はひどく飢えて来た。
三越の七階、ジャアマンベーカリー、コロンバン等々、方々で一と休みしてはかわきをいやさねばならなかった。
細雪:02 中巻 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
肉体的とも精神的とも分野をつき止めにくいあこがれが、低気圧のうずのように、自分の喉頭のどのうしろのあたりうっして来て、しっきりなしに自分にかわきをおぼえさせた。
桃のある風景 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
「この頃ちょっとも腹は立てなかったのに」と妻は真面目まじめそうにこたえた。そのうちに、妻は口のかわきを訴えて、氷を欲しがった。隣室で母親は彼に小声で云った。
美しき死の岸に (新字新仮名) / 原民喜(著)
縁から見ると、七分目にった甕の水がまだ揺々ゆらゆらして居る。其れは夕蔭に、かわかわいた鉢の草木にやるのである。稀には彼が出たあとで、妻児さいじが入ることもある。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
相変らずの油照あぶらでり、手も顔もうひりひりする。残少なの水も一滴残さず飲干して了った。かわいて渇いて耐えられぬので、一滴ひとしずく甞めるつもりで、おもわずガブリと皆飲んだのだ。
ところが、それから二時間ばかり経った後に、左枝は、灼きつくようなかわきにふと目を醒した。
地虫 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
従って年よりのように欲にもかわかず、若いもののように色にもおぼれない。とにかくわたしの生涯はたといしあわせではないにもしろ、安らかだったのには違いあるまい。
河童 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
それからずっとのちまで、長い間、疲れた人や、おなかのへった人や、喉のかわいた人などがそこへ来て、いつも休んでは、不思議の壺から、堪能たんのうするほど牛乳を飲みました。
自分はひどい熱でとこの上にているらしい。傍には妻の心配そうな顔が覗いている。そのうしろには、まだ誰やら老人らしいのや子供らしいのがいる様子である。ひどく咽喉のどかわく。
木乃伊 (新字新仮名) / 中島敦(著)
また慾にかわいて因業いんごふ世渡よわたりをした老婆もあツたらう、それからまただ赤子に乳房をふくませたことの無い少婦をとめや胸に瞋恚しんいのほむらを燃やしながらたふれた醜婦もあツたであらう。
解剖室 (旧字旧仮名) / 三島霜川(著)
「大げさなこと云うんじゃないよ」とあさ子が云った、「眼がさめたら汗ぐっしょりでのどかわいてたから、氷でも取ろうじゃないのって、ちょっと突いてみただけじゃないか」
青べか物語 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
毎日二三回ずつの下痢げり、胃はつねに激しきかわきを覚えた。動かずにじっとしていれば、健康の人といくらも変わらぬほどに気分がよいが、労働すれば、すぐ疲れて力がなくなる。
田舎教師 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
彼女の血液のうちの若さは、近頃ひどくれて来ていた。この血液の衷からかわいて行くものを補うために、彼女はいろいろなものを試みた。例えば「精壮」とか「トツカピン」とか。
(新字新仮名) / 佐左木俊郎(著)
一度も見たことのない、いつも待っていた、ほんとうのかわきをもって待っていた、正当な思慮で自分の手には入らないものといつでも思っていた陳情人が、そこに坐っているのです。
(新字新仮名) / フランツ・カフカ(著)
佐「荒尾、あの葡萄酒ぶどうしゆを抜かんか、のどかわいた。これからが佳境にるのだからね」
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
愛のかわきによって自然に築き上げられて来た彼のこうした意地強さは、まだ決してなくなってはいなかったのである。彼は、新賀と大沢とを等分に見くらべながら、ずけずけと言った。
次郎物語:03 第三部 (新字新仮名) / 下村湖人(著)
その家の傍には釣瓶井戸つるべいどがあったので、のどがかわいていた私たちは水を無心した。
桜林 (新字新仮名) / 小山清(著)
喰い飢えた東京人、女にかわいたあずまの男は、滅多無性に安い食物と安い女を求めた。
東京人の堕落時代 (新字新仮名) / 夢野久作杉山萠円(著)
其中そのうちに乃公は喉がかわいた。水を持って来いといえば係りの男が持って来るだろうけれど、人を呼んだりしては他所ひとの安眠の妨害になると思って、乃公はそっと起きて水を飲みに行った。
いたずら小僧日記 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
彼らは、人間の「愛」には、うそにもほんとにも、沙漠さばくのようにかわき飢えていたのだ。沙漠にオアシスの蜃気楼しんきろうを旅人が見るように、彼らは「愛」の蜃気楼さえをもさがし求めたので。
海に生くる人々 (新字新仮名) / 葉山嘉樹(著)
その頃はもう夏だったので、夕日がかんかんと頭からりつけるので、体じゅう汗とほこりとに汚れるし、その上ひっきりなしにどならなければならないので、のどかわいてたまらなかった。