陸路くがじ)” の例文
「おそらく先鋒の方がおくれたでしょう。筑前どの自身、まぎれもなく着いております。途中の風雨も陸路くがじ船路も、ほとんど、不眠不休のおいそぎ方で」
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「では、なおさらです。武蔵様が、陸路くがじを下っていらっしゃる筈はない。武蔵様のなによりもお嫌いな、そんなさわぎが、城下城下で待ちうけているようでは——」
宮本武蔵:08 円明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「高野へ向うのに、水路はとれぬ。それにまた、川筋には川関もあるはず。ひとまず、舟はどこかへつないで、夜半を待ち、陸路くがじへ上がって忍んで行こう。それしか、策はあるまいが」
私本太平記:03 みなかみ帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「いや、殿軍しんがりします。対岸の部落でお待ちください。それがしは陸路くがじをまわります」
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
さかのぼり、陸路くがじを駈け、水陸一手となって、曹軍を突き破って参りますから
三国志:07 赤壁の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「いや、そうお悔みなさるには当るまい。次の便船までには数日の間があろうが、陸路くがじを追って行かれれば、小倉表で武蔵殿に会うなり、長岡家を訪れて、伊織殿とご一緒になるなりすれば——」
宮本武蔵:08 円明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
それらの人数も前後して、陸路くがじや舟で思い思い追っかけまいらせた。
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
四世五十二年にわたる呉の国業も、孫皓そんこうが半生の暴政によって一朝に滅んだ。——陸路くがじを船路を、北から南へ北から南へと駸々しんしんと犯し来れるもののすべてそれは新しき国の名を持つしんの旗であった。
三国志:12 篇外余録 (新字新仮名) / 吉川英治(著)