長治ながはる)” の例文
この小さい一山城に、別所長治ながはる長定ながさだの兄弟とその一族がたて籠って、こう長期に頑張り得ようとは誰にも予測できないことであった。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
羽生はにゅう某の記する所にるに元義は岡山藩中老池田勘解由かげゆしん平尾新兵衛長治ながはるの子、壮年にして沖津氏の厄介人やっかいにん(家の子)となりて沖津新吉直義(退去の際元義と改む)と名のりまた源猫彦と号したり。
墨汁一滴 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
降使、宇野卯右衛門が、長治ながはる以下、三名の首を献じて、三木城内にある数千の助命を仰いだ日、秀吉側からは、浅野弥兵衛が応接に出た。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
三木城の別所長治ながはるの手勢にちがいないものが約三百名、北方二里ほど先のご領外まで潜行しており、あの辺の林や山に潜んで
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
志方しがたの城主櫛橋左京は、幸いにもそれがしの家の姻戚いんせき、これは必ずお味方へ引き入れます。ひとり三木城の別所長治ながはるは、頑としてくだりますまい。
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
は、小三郎長治ながはる辞世じせいであった。また、まだうら若い彼の妻がのこした一首には
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)