許婚いひなづけ)” の例文
「平野屋の若旦那は、お園さんを怨んではゐないが、邪魔にはしてゐましたよ。尤も許婚いひなづけのお夏さんは、心から怨んでゐたやうで」
高利貸のわなかかつたばかりで、自分の躯には生涯のきずを付け、ひとりの母親は……殺して了ひ、又その上に……許婚いひなづけは破談にされ、……こんな情無い思を為る位なら
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
云はば許婚いひなづけのやうな間柄になつた二人は、日がへりで奈良や京都にも遊びに行つたりした。
多摩川 (旧字旧仮名) / 林芙美子(著)
是則 お前には、許婚いひなづけかなにかあるのか。
秘密の代償 (新字旧仮名) / 岸田国士(著)
もつとも、お絹が新六郎と許婚いひなづけになる前は、あの手代の周次郎が、精一杯に口説くどいたらしいよ。板倉屋の婿になる氣だつたに違ひない。
憶出おもひだした。間の許婚いひなづけはお宮、お宮」
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
註文の草鞋わらぢが忙がしかつた相で。あの人は目黒在の百姓の子ですが、昔はなか/\の良い男で、若い頃は小夜菊師匠の許婚いひなづけだつた相ですよ。
「玉にきずだつて、親方は言つて居ましたよ。それから、近頃は許婚いひなづけに嫌はれて腐つてゐるとも言ひましたが、それは誰でせう」
討ち度さに一年間我慢して居たのも少し變だが、許婚いひなづけが他所へ行つてしまへば、捨鉢になるからさうしたものかも知れないぜ
お孃さん、心配することは無いぜ、二人の許婚いひなづけに死なれて氣を落すのも無理もないが親孝行でもして、百までも生きる工夫を
「養子の柳吉を贔屓ひいきにして居るのは、娘のおえふ位のもので御座います、許婚いひなづけの仲ではあるが、あれは妙に氣が合ふ樣子で」
「それは、ありさうなことだが、お糸さんの許婚いひなづけと言つて居る、浪人者の芦名あしな光司が、このお屋敷に忍び込んで、奧方を手に掛けようとは思へない」
「證據は山ほどあるんださうで。第一に、お糸は姉のお君が許婚いひなづけになつてゐる頃から、手代の彌八に首つたけだし」
留守宅は用人の小田島傳藏老人と、近頃兩國の水茶屋を引いて、行儀ぎやうぎ見習の爲に來てゐる、錢形平次の許婚いひなづけお靜。
「賀奈女のために死んだ男や女は二人や三人ぢやねえ。内弟子のお秋さんの許婚いひなづけだつて、やつぱりその一人——」
「尤も清太郎といふのは、評判のよくない男でしたよ。藤屋の娘のお筆と許婚いひなづけとか何んとか言はれてゐますが、道樂が強くて浮氣で、金費ひが荒くて——」
「先づ御藏前の板倉屋ですが、あの娘は殺されてしまひましたが親達の歎きは大變です。許婚いひなづけの新六郎なんか、男のくせに眼を泣きらして、見ちやゐられませんよ」
伜は勘當されて潮來いたこに居るし、許婚いひなづけのお延は、下女のやうにコキ使はれて居るし、居候の清五郎は娘のお吉と娶合めあはせさうにして、給金のない奉公人見たいに働かせるし
從妹いとこの小夜菊は、あの見つとも無い男の順八の許婚いひなづけだつたんだ。亭主だつたかも知れないよ。
思案にくれて居るところへフラリとやつて來たのは、お靜とは許婚いひなづけの仲の、錢形平次です。
さすがに許婚いひなづけで戀人でさへあつた伊三郎の死は、この娘にも容易ならぬ打撃であつたらしく、愼ましくはあるが、深々と悲しみに閉され、物を責め問ふさへ痛々しい感じです。
和泉屋の娘お照と許婚いひなづけの間柄であつたのを、和泉屋の主人、即ちお今の兄で、お照の父親の平左衞門が、金に困つて鍵屋の世話になり、それから義理に絡まれて、望まれるまゝに
「あれがお蘭の養子になる筈だつた、山下の越後屋の息子ださうですよ、——許婚いひなづけの約束はあつても、祝言をしたわけぢやないから、改めて顏を出したものか、どうか、迷つて居る樣子で」
血潮の海の中に、莊太郎の許婚いひなづけお道は、懷劍で見事に自殺して居たのでした。
厄明やくあけの來年は、從兄妹いとこ同士の許婚いひなづけ、新六郎と祝言しうげんさせて、幸ひ賣りに出てゐる同業札差の株を千兩といふ大金を積んで買はせ、一軒の家まで持たせてやることに話がきまつてゐるところを
その上文次郎と吾妻屋の娘お喜多が許婚いひなづけの中だつたのを、田島屋がいけなくなると、吾妻屋金右衞門方から反古はごにし、近頃は文次郎を寄せ付けないばかりか、往來で逢つても口もきかないので
「今つれて歸らなきや、妹のお秋にどんな間違ひがあるかも判りません。獨り者の山名屋はお秋をめかけにする氣で居るんです。あの娘には、まだ祝言こそしないが、決つた許婚いひなづけがあるのも承知の上で」
「姉の許婚いひなづけの方でございます、明後日九州から御入府の筈で」
お雛には先代が取決めた重三ぢうざといふ許婚いひなづけがあります。
その私の許婚いひなづけのやうな恰好になつて居りました。
「重三——といふと、お孃さんの許婚いひなづけの?」
「この人も異存がある筈はございません。彌八は亡くなつた主人の遠縁で、十二の年から引取り、二十四の今年まで育てました。娘とは、主人が生きてゐる時からの許婚いひなづけで、節分が濟むと直ぐ、暮の忙しい中に祝言させました」
「二人は許婚いひなづけでゞもあつたのか」
「それに、平次の許婚いひなづけのお靜」