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薔薇園
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しょうびえん
ふりがな文庫
“
薔薇園
(
しょうびえん
)” の例文
薔薇園
(
しょうびえん
)
の亭ともよばれ、平家全盛時代ほどなものはないが、ついさきごろは、後伏見、花園の二上皇もご避難していた御所ではあり
私本太平記:09 建武らくがき帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
いつも会う所は、
薔薇園
(
しょうびえん
)
へ面している東の書院であった。——が尊氏は、その書院へゆく途中の
角廊
(
すみろう
)
に立っていて、彼を見ると
私本太平記:09 建武らくがき帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
かくておよそ宮廷人ばかりの百二、三十名が、どっと北御所から
薔薇園
(
しょうびえん
)
の大庭へまろび出て、あとは暗い夜風のなかをヒタ走りに
喘
(
あえ
)
ぎあった。
私本太平記:08 新田帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
あの
空地
(
あきち
)
の草原で、子供たちや、牛が遊んでおりましょう。あれは、小松殿のお
館
(
やかた
)
のあった
薔薇園
(
しょうびえん
)
の跡でございます。
親鸞
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
この日の五条総門は、もと
薔薇園
(
しょうびえん
)
の辺から
主典
(
すてん
)
ノ
辻
(
つじ
)
、車大路まで、供待ちの馬や車でいっぱいだった。
私本太平記:04 帝獄帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
▼ もっと見る
薔薇園
(
しょうびえん
)
の邸にいる子息の小松
重盛
(
しげもり
)
は、それを聞くと、悲壮な決意をもって、父の清盛を訪ずれた。そして、面を
冒
(
おか
)
して、重盛は、聖徳太子の古言をひいて、
憤怒
(
ふんぬ
)
の父を
諫
(
いさ
)
めた。
親鸞
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
例の
廂
(
ひさし
)
ノ
間
(
ま
)
で、一ト汗拭いて、やがてのこと、
薔薇園
(
しょうびえん
)
の書院のうちに、ぬかずいていた。
私本太平記:10 風花帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
北苑を見やれば、加茂の川岸まで、
薔薇園
(
しょうびえん
)
の広芝に明るい陽がほかほかしていた。
源頼朝
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
しかし
本道
(
ほんみち
)
の五条大橋を越えてゆくと、橋の東に小松殿の
薔薇園
(
しょうびえん
)
があり、その向い側には入道相国の六波羅の
北門
(
ほくもん
)
があって、その間を往来するのはいつも何となく小気味がよくないし
親鸞
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
もう濁流にせかれる花と
泡沫
(
うたかた
)
の明滅みたいに、白い素足やら夜風のなかの
被衣
(
かずき
)
、また、みだれにまかす黒髪などが、むかし
薔薇園
(
しょうびえん
)
とよばれた六波羅
北苑
(
ほくえん
)
の木戸から東山のほうへ落ちて行き
私本太平記:08 新田帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
小松殿の
薔薇園
(
しょうびえん
)
だの
平相国入道
(
へいしょうこくにゅうどう
)
の
館
(
やかた
)
だのが
甍
(
いらか
)
をならべていた平家繁昌の頃から、このあたりは民家も人通りも多い中心で、戦国以後もその旧態を残しているが、まだどこの家も戸は開いていなかった。
宮本武蔵:04 火の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
“薔薇園”の意味
《名詞》
薔薇園(ばらえん)
薔薇がたくさん植えられた庭園。
(出典:Wiktionary)
薔
漢検1級
部首:⾋
16画
薇
漢検1級
部首:⾋
16画
園
常用漢字
小2
部首:⼞
13画
“薔薇”で始まる語句
薔薇
薔薇色
薔薇花
薔薇乳香
薔薇香
薔薇根
薔薇叢
薔薇形
薔薇新
薔薇科