萱野かやの)” の例文
見ると、これも近所の別荘に住んでゐる萱野かやの夫妻が、息子の安里あんりと一緒に、テニスをやりに行く途中、例によつて声をかけに来たのである。
落葉日記 (新字旧仮名) / 岸田国士(著)
「いえ、上野や向島むこうじまは駄目だが荒川あらかわは今がさかりだよ。荒川から萱野かやのへ行って桜草を取って王子へ廻って汽車で帰ってくる」
虞美人草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
神代に萱野かやの姫など茅を神とした例もあれば、もと茅を山立姫というに、それより茅中に住んで茅同然に蛇が怖るる野猪をも山立姫といったと考える。
地面が安ければあそばせて置いてもよいようなものだが、いくら萱野かやのでも、管理にはやはり手数をようする。
母の手毬歌 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
ふといロイド眼鏡かけて、ことし流行とやらのオリンピックブルウのドレス着ている浅田夫人、幼な名は、萱野かやのさん。ふたり涼しげに談笑しながら食事していた。
二十世紀旗手 (新字新仮名) / 太宰治(著)
「丹後さまの騒ぎを覚えていますか」と隼人は静かな口ぶりで訊いた、「——あのとき萱野かやの大学どのが詰腹を切らされ、貴方のお父上も百日の閉門を仰せつけられたでしょう」
ちくしょう谷 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
子供が其れをって来て、十五夜の名月様に上げる。萱は葺料にして長もちするので、小麦からの一束ひとたば五厘に対し、萱は一銭も其上もする。そこで萱野かやのを仕立てゝ置く家もある。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
駕籠のうちは、事変の直後、一番使者として江戸を立った早水はやみ藤左衛門と萱野かやの三平が、駕籠の天井から晒布さらし吊手つりてを下げてすがり、頭には白鉢巻、腹にも白布しらぬのを巻いて、乗っていた。
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
萱野かやのの末にうそぶきて
花守 (旧字旧仮名) / 横瀬夜雨(著)
息子の安里は、この母親をママと呼んだり、お絹さんと呼んだりするので、父の萱野かやの氏は閉口してゐるらしい。
落葉日記 (新字旧仮名) / 岸田国士(著)
しかしそれをりあつめて一軒の屋根を葺くには、萱野かやのというものが近くになければならぬ。
母の手毬歌 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
私、小学四、五年のころ、姉は女学校、夏と冬と、年に二回の休暇にて帰省のとき、姉の友人、萱野かやのさんという眼鏡かけて小柄、中肉の女学生が、よく姉につれられて、遊びに来ました。
二十世紀旗手 (新字新仮名) / 太宰治(著)
萱野かやの三平が、遠くで云った。
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
萱野かやのの萱がだんだんと足りなくなってきて、木材ももう少ないのだから、ふたたび板葺きにもどることもできず、瓦はまだそう容易には手にはいらぬという時代には、ふつうの日本人はいろいろと
母の手毬歌 (新字新仮名) / 柳田国男(著)