若狭守わかさのかみ)” の例文
当夜の立会人のひとり——城番加役宮崎若狭守わかさのかみの子息市之丞がそう云って、真っ先に、執行に立った。
夏虫行燈 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そしてこのとき、隠居の綱宗さまは、改めて若狭守わかさのかみと呼ばれることになったのだと甲斐は思った。
その区域に立っている大名屋敷といえば、酒井若狭守わかさのかみ、松平左衛門尉さえもんのじょう、青山下野守しもつけのかみ、土井能登守のとのかみ、——といったような人々の屋敷屋敷で、その間に定火消じょうびけしの番所もあれば、町家も無数に立っている。
娘煙術師 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
それがため御当家は百年の春がめぐったように、お館様も、おん奥の方も、御一門の若狭守わかさのかみ様も、宗業むねなり様も、朝に夜に、お越しなされて、あのとおり、奥でのお団欒まどい
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
……さきごろ所司代酒井若狭守わかさのかみ忠義ただよし)どのが参内いたし、おすべりとやら申上げまする、主上御箸つきの御膳部を賜わり、異例の光栄に恐懼きょうくして頂戴仕りましたところ
日本婦道記:尾花川 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
評定ひょうじょうのあかりは、晃々こうこうと照って、席には一族の権六勝敏ごんろくかつとし、おなじく勝豊かつとよ徳山則秀とくやまのりひで不破光治ふわみつはる、小島若狭守わかさのかみ毛受勝介めんじゅかつすけ佐久間玄蕃允さくまげんばのじょうなど、万夫不当ばんぷふとうの北国衆が
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
国目付は例年のとおり、神尾若狭守わかさのかみ(使番)安部主膳(小姓組)の二人で、四月五日に江戸を立ち、十三日に到着した。そうして、四月二十二日、仙台城の二ノ丸で、両国目付の饗応きょうおうがおこなわれた。
小島若狭守わかさのかみひとりは、酒宴のうちも、たえず天守の廊を巡って、敵のうごきを監視していた。そして、心ゆくまで、名残を惜しまれよと、折々ここへ情況を告げていたのである。
新書太閤記:09 第九分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
勝家かついえをはじめ、玄蕃允げんばのじょう若狭守わかさのかみなど、めいめいしょくをかざしてそれへでてきた。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)