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義淵
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ぎえん
ふりがな文庫
“
義淵
(
ぎえん
)” の例文
道鏡は岡寺の
義淵
(
ぎえん
)
について修業したが、義淵は天智天皇の信仰厚い高僧で、岡寺は義淵のため天智帝が造営されたものであった。
安吾史譚:02 道鏡童子
(新字新仮名)
/
坂口安吾
(著)
良弁僧正は
相模
(
さがみ
)
の人、姓は
漆部
(
ぬりべ
)
氏
(
うじ
)
、
持統
(
じとう
)
天皇の三年
己丑
(
つちのとうし
)
誕生、
義淵
(
ぎえん
)
僧正の弟子となり、晩年は東大寺別当に任ぜられた人であるから、聖武天皇の御親任も
一入
(
ひとしお
)
厚かったと思われる。
大和古寺風物誌
(新字新仮名)
/
亀井勝一郎
(著)
この時代には肖像彫刻にも、東大寺開山堂の
良辨
(
ろうべん
)
僧正坐像のような堂々たる高雅な性格描写の傑作があり、また岡寺の
義淵
(
ぎえん
)
僧正坐像のような立ち入った写実的傾向の強い技法によるものがある。
本邦肖像彫刻技法の推移
(新字新仮名)
/
高村光太郎
(著)
道鏡は幼時
義淵
(
ぎえん
)
に就て仏学を学び、サンスクリットに通達してゐた。青年期には
葛木山
(
かつらぎやま
)
に籠つて修法錬行し、如意輪法、
宿曜秘法
(
すくようのひほう
)
等に達し、看病薬湯の霊効に名声があつた。
道鏡
(新字旧仮名)
/
坂口安吾
(著)
“義淵”の解説
義淵(ぎえん・ぎいん、皇極天皇2年(643年) - 神亀5年10月20日(728年11月25日))は、奈良時代の法相宗の僧。『続日本紀』によると俗姓は市往氏であるが、『扶桑略記』では大和国高市郡の出身で俗姓を阿刀氏とする。
(出典:Wikipedia)
義
常用漢字
小5
部首:⽺
13画
淵
漢検準1級
部首:⽔
12画
“義”で始まる語句
義
義兄
義理
義姉
義弟
義務
義父
義太夫
義母
義経