義淵ぎえん)” の例文
道鏡は岡寺の義淵ぎえんについて修業したが、義淵は天智天皇の信仰厚い高僧で、岡寺は義淵のため天智帝が造営されたものであった。
安吾史譚:02 道鏡童子 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
良弁僧正は相模さがみの人、姓は漆部ぬりべうじ持統じとう天皇の三年己丑つちのとうし誕生、義淵ぎえん僧正の弟子となり、晩年は東大寺別当に任ぜられた人であるから、聖武天皇の御親任も一入ひとしお厚かったと思われる。
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)
この時代には肖像彫刻にも、東大寺開山堂の良辨ろうべん僧正坐像のような堂々たる高雅な性格描写の傑作があり、また岡寺の義淵ぎえん僧正坐像のような立ち入った写実的傾向の強い技法によるものがある。
本邦肖像彫刻技法の推移 (新字新仮名) / 高村光太郎(著)
道鏡は幼時義淵ぎえんに就て仏学を学び、サンスクリットに通達してゐた。青年期には葛木山かつらぎやまに籠つて修法錬行し、如意輪法、宿曜秘法すくようのひほう等に達し、看病薬湯の霊効に名声があつた。
道鏡 (新字旧仮名) / 坂口安吾(著)