綴喜つづき)” の例文
古注には笛工の中の二人のみが、山城綴喜つづき郡にありとあります故に、他の十五人は年々現実に、もとは吉野の奥から召されたものでありましょう。
山の人生 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
槻落葉つきのおちばでタカツキノムラと訓み、「高く槻の木の生たる木群こむらをいふなるべし」といって学者多くそれに従ったが、生田耕一氏が、高は山城国綴喜つづき郡多賀郷のタカで
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
少しは調べたいもの、見たい所もあって、五六日は随分歩くつもりで、足慣らしもして来たのであるが、これでは愛宕あたご乙訓おとくに久世くぜ綴喜つづきと遠っ走りは出来そうにない。
雨の宿 (新字新仮名) / 岩本素白(著)
綴喜つづきの郡、田辺たなべの里に逗留の道庵先生は、健斎老の取持ちで、何もございませんがと言って、上方名物のよき酒に、薪納豆たきぎなっとうを添えて振舞われたものですから、大いによろこびました。
大菩薩峠:41 椰子林の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
梶原に続き、三浦、鎌倉、秩父ちちぶ、足利の一族、党では猪俣いのまた児玉こだま野井与のいよ、横山、西にし党、綴喜つづき党などや、その他の私党の兵が続々と攻めこめば、平家もここに兵力のすべてを投入して戦った。
近くの綴喜つづき郡松井村の郷士に、深栖三郎ふかすさぶろうという者がある。
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
山城綴喜つづき郡宇治田原村大字岩山字山下は明治七年まで独立した一村であった(郡誌)。
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)