無何有むかう)” の例文
室内はあらゆる人間の五感に負担を与えるものを無何有むかうの彼方にほろぼし去ってただ味覚へばかりの集中へ誘う——聖なる食魔達の登壇。
食魔に贈る (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
唯昔の苦行者のやうに無何有むかうの砂漠を家としてゐる。その点は成程気の毒かも知れない。しかし美しい蜃気楼は砂漠の天にのみ生ずるものである。
侏儒の言葉 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
あたかもかの夢想兵衛が飄飄然ひょうひょうぜんとして紙鳶たこにまたがり、天外万里無何有むかうの郷に漂着したるの想いをなすならん。
将来の日本:04 将来の日本 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
この心地は、かの我を忘れて、たましひ無何有むかうの境に逍遙さまよふといふ心地ではない。謂はゞ、東雲の光が骨の中まで沁み込んで、身も心も水の如く透き徹る樣な心地だ。
葬列 (旧字旧仮名) / 石川啄木(著)
普門品ふもんぼん、大悲の誓願ちかいを祈念して、下枝は気息奄々えんえんと、無何有むかうの里に入りつつも、刀尋段々壊とうじんだんだんねと唱うる時、得三は白刃を取直し、電光胸前むなさききらめき来りぬ。この景この時、室外に声あり。
活人形 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
旦暮たんぼに死するもまた瞑目めいもくすと言ふべし。雨後うご花落ちて啼鳥ていてうを聴く。神思しんしほとん無何有むかうさとにあるに似たり。即ちペンを走らせて「わが家の古玩」の一文をさうす。
わが家の古玩 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
自分は唯くわうとして之に見入つた。この心地は、かの我を忘れて魂無何有むかうの境に逍遙さまよふといふ心地ではない。謂はば、東雲の光が骨の中まで沁み込んで、身も心も水の如く透き徹る様な心地だ。
葬列 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)