清内路せいないじ)” の例文
そこまで行くと、水戸浪士の進んで来た清内路せいないじも近い。清内路の関所と言えば、飯田藩から番士を出張させてある山間やまあいの関門である。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
暮れないうちに早く馬籠を立たせ、すくなくもその晩のうちに清内路せいないじまでは行くことを教えねばならなかった。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
義髄と前後して上洛した清内路せいないじの先輩原信好のぶよしが神祇伯白河殿に奉仕して当道学士に補せられたことと言い、義髄が同じ白河家から地方用人を命ぜられたことと言い
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
隣宿妻籠つまごから伊那への通路にあたる清内路せいないじには、平田門人として半蔵から見れば先輩の原信好のぶよしがある。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
清内路せいないじの原信好のぶよし馬籠まごめの青山半蔵、中津川の浅見景蔵、それから峰谷はちや香蔵なぞは、いずれも水戸の人たちに同情を送るであろうと言って見せるのは伴野から来た連中だ。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
三留野みどのへも行き、あららぎ、広瀬から清内路せいないじの奥までも行き、余暇さえあれば本を読み、弟子でしを教えた。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
延胤は東京からの帰りみち下諏訪しもすわへと取り、熱心な平田篤胤あつたね没後の門人の多い伊那の谷をおとない、清内路せいないじに住む門人原信好のぶよしの家から橋場を経て、小昼こびる(午後三時)のころに半蔵の家に着いた。
夜明け前:03 第二部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)