明国みんこく)” の例文
内記はそうだと頷いた、「磯貝いそがいなにがし、三浦なにがしという者が、明国みんこく人から伝えられたのを、さらにくふうしたのだそうだが」
「汝のような者が、信長の統業下にあることは、世間のうたがい、物笑い、日本にとどまらず、明国みんこく高麗こうらい天竺てんじく南蛮なんばんまでの恥さらしである」
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
医師となって長享元年に明国みんこくに入り、留まること十二年、明応七年に三十四歳で帰朝して、明の医術を伝えて、その名声天下にあまねく、総、毛、武州の地を往来し、天文六年二月十九日
大菩薩峠:26 めいろの巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
「ただ、惜しいのは、わしがおともいたして、長らく明国みんこくに渡っておいでなされた松坂の伊藤五郎大夫様のお作なのじゃ」
新書太閤記:01 第一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
これはその二人が、明国みんこくから亡命して来た陳元贇ちんげんぴんという者について、かの国に伝わる捕捉術をまなび、それにくふうを加えたものだ、ということであった。
の衆はみな若い頃には、八幡船ばはんせんとかいう船に乗って、明国みんこくから南蛮へまで押し渡ったものじゃそうな」
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そしてそれから、彼が壮年時代に見聞して来た「明国みんこくばなし」の長談義がはじまるのだった。
新書太閤記:01 第一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
天子の御叡覧ごえいらんにそなえ奉るはれの日にてあるぞ。明国みんこく、南蛮、西夷せいいの国々へまで聞えわたるわが国振くにぶり武家式事ぶけしきじぞ。心いっぱい豪壮ごうそうせよ、美術せよ、われとわが姿と行動とを芸術せよ
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「田野のなかにも、無智な田夫でんぷばかりはいない。真実をわきまえている怖ろしい民もいる。……世はみだれても、やはりかわらぬ皇国みくに、そこの土に生きる民くさ、明国みんこくや朝鮮とはちがう」
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
近頃、染付ものの陶器に、祥瑞五郎大夫ションズイごろだゆうつくるとよく銘に書いてはあるが、それはその後の人々で、ほんとに明国みんこくへ渡って、あの陶器の作法を伝えて来られたお方は今ではもうこの世にいませぬ
新書太閤記:01 第一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)