忠度ただのり)” の例文
維盛これもり忠度ただのりを大将とする平家の大軍は、頼朝が、政子のため大急ぎで建築した仮の館へ移った二日前の十三日に、駿河国の手越てごし宿しゅくに着いていた。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
昔平家の武士の忠度ただのり俊成卿しゅんぜいきょうの『千載集せんざいしゅう』の中に自分の歌を読人知らずとして載せられたのを残念に思って、いくさに赴く前に俊成の門を叩いて、その怨をべたというようなこともある。
俳句はかく解しかく味う (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
忠度ただのりの都落
「そんなことないでしょう。ここでいていましたが、私の好きな“忠度ただのり都落みやこおち”のくだりのせいか、どこといって」
私本太平記:07 千早帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
大将は平維盛たいらのこれもり忠度ただのりのふたりであった。斎藤別当実盛が、東国の事情にくわしいので、案内として、幕僚の諸将のうちにいてゆくのが目についた。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「さあ……。祇園精舎ぎおんしょうじゃ初語しょがたりもよし、小督こごう忠度ただのり都落ち、宇治川、敦盛あつもり、扇ノ与一。どれも嫌いなものはないの」
私本太平記:02 婆娑羅帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
熊野もうでは、ある一時代、貴族や武家の流行でさえあったようだ。そして平ノ忠盛は、熊野別当の息女に通って忠度ただのりを生ませ、源ノ為義にも、同じような艶話がある。
随筆 新平家 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
知盛とももり維盛これもり忠度ただのり敦盛あつもりなど一門の大家族が、各〻の別荘へ、みな避暑におもむいていたが、秋風と共に、遊び飽きない姫や公達輩きんだちばらも、ようやく、都へもどって来た頃だった。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
七男の忠度ただのりが生まれたのは、なお後のことであり、母もちがう。