忠利ただとし)” の例文
当時、沢庵の学識道徳に傾倒する大名はすくなくなかったが、特に熱烈だったのは、細川越中守忠利ただとしと、柳生但馬守宗矩むねのりであった。
随筆 宮本武蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
床の間に並べ有之候御位牌いはい三基は、某が奉公つかまつりし細川越中守忠興ただおき入道宗立三斎殿御事松向寺殿をはじめとし、同越中守忠利ただとし殿御事妙解院殿、同肥後守光尚みつひさ殿御三方に候えば
与一郎様与五郎様(忠興の子、興秋おきあき)のお二かたは東へお立ちなされたり、内記様(同上、忠利ただとし)も亦唯今は江戸人質に御座候間、人質に出で候はん人、当お屋敷には一人も無之これなく候へば
糸女覚え書 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
与一郎(忠隆ただたか)の次に、次男の与五郎(興秋おきあき)があった。それからまた、三男の内記(忠利ただとし)が生れ、愛らしい女の子もその下にふたりできた。
「御主人、忠利ただとし公には、おつつがもなく、先頃は江戸表より御帰国とのこと。よそながら祝着のいたりと存じおりました」
宮本武蔵:08 円明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
お聞き及びかも知れぬが、佐々木小次郎は、折も折、細川忠利ただとし公に抱えられ、すでに藩地へ向け旅立ったということだ。
宮本武蔵:07 二天の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
細川忠利ただとしは、きょうもそこで、弓を射ていた。夏中、百射をつづけるというので、きょうもその幾日目かであった。
宮本武蔵:07 二天の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
それはまた、自分と武蔵との従来の経歴が、何となくそうして来たばかりでなく、君公の忠利ただとしも予期し、藩老の長岡佐渡も予期しているところである。
宮本武蔵:08 円明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
なお、別方面から、もっと普遍してゆくと、沢庵と細川忠利ただとし、沢庵と長岡佐渡などとの心交はかなり顕著である。
随筆 宮本武蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そう考えてくると、細川忠利ただとしもまた、近く豊前ぶぜんの小倉に帰国の噂がある。三斎公が老年なので、忠利の帰国願いは、かなり前から幕府へ提出されていた。
宮本武蔵:07 二天の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
的場まとばへ行ってみると、若殿の忠利ただとしは、家臣を相手に、さかんに弓をひいていた。忠利の射る矢は、一筋一筋、おそろしく正確で、その矢うなりにも、気品があった。
宮本武蔵:06 空の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
主君忠利ただとしの命で、武蔵との試合が決定してからほどなく、君公の思いやりもあり、岩間角兵衛のとりなしもあって、——当分の間、隔日の御指南の儀、登城に及ばず。
宮本武蔵:08 円明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「佐々木小次郎は、藩の重臣、岩間角兵衛殿のやしきに食客しておるので、その角兵衛どのが、早速、吹聴ふいちょうしたものでござろう。若殿の忠利ただとし公すら、すでにご存知のようでござった」
宮本武蔵:06 空の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
誰も知っている通りに、武蔵はその余生を熊本の城下に送り、当時の英主細川忠利ただとしに晩節を捧げていた。武蔵と忠利の間がらは、本来単なる主人と家来というような関係ではない。
随筆 宮本武蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
江戸には、長子の忠利ただとしがいて、補佐の老臣と、たいがいなことは、裁断していた。
宮本武蔵:06 空の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)