御世辞おせじ)” の例文
旧字:御世辭
すると客は、なにおれの前へ出た時だけ御世辞おせじを云ってくれりゃそれでうれしいんだ、蔭で何と云ったって聞えないから構わないと答えていた。
行人 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
唯経験を積んだ御世辞おせじのいい開業医に過ぎない事を知っていたので、新来の岸山先生の簡単な診察ぶりと愛想気あいそっけのない態度についてはかえって学者にふさわしいような気もした所から
寐顔 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
笑いながら御世辞おせじを云ったが、電報も打たず、いつ着くとも知らせなかった余の到着を、いくら権威赫々けんいかくかくたる総裁だって予知し得る道理がない。
満韓ところどころ (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
「なるほど面白いですなあ」と正直な兄までさも感心したらしく御世辞おせじを余儀なくされていた。
行人 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
ことに自分をまもる事に巧みな技倆ぎりょうっていた。ひとの口車に乗せられやすい、また見え透いた御世辞おせじうれしがりがちな健三の実父は、何時でも彼女をめる事を忘れなかった。
道草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
それほど枯れた御世辞おせじだから、それが自分にはひとの「御早う」ぐらいにしか響かなかった。
行人 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
文学者だから御世辞おせじを使うとすると、ほかの諸君にすまないけれども、実を云えば長谷川君と余の挨拶が、ああ単簡至極たんかんしごくに片づこうとは思わなかった。これらは皆予想外である。
長谷川君と余 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
余は日本人なりの答を得るや否や、この男が、おれも四十年前横浜に行った事があるが、どうも日本人は叮嚀ていねいで親切で慇懃いんぎんで実に模範的国民だなどとしきりに御世辞おせじを振り廻し始めた。
満韓ところどころ (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
ところが下女の方では、またそれを聞くたびに不必要にふんだんな笑い方をした。本気とも御世辞おせじとも片のつかない笑い方だけれども、声帯に異状のあるような恐ろしい笑い方をした。
思い出す事など (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
わが不平が通じたのか、通じないのか、本当に気の毒がるのか、御世辞おせじに気の毒がるのか分らない。高柳君はビステキの赤さ加減をながめながら、相手はなぜこう感情が粗大そだいだろうと思った。
野分 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
それが世間体せけんていの好い御世辞おせじと違って、引き留められているうちに、上っては迷惑だろうという遠慮がいつの間にかくなって、つい気の毒だから少し話して行こうという気になるのである。
彼岸過迄 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
好加減いいかげん御世辞おせじを並べて
彼岸過迄 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)