)” の例文
しかし「手紙は山陽がまさわづかに茶山の塾を去りて京都にくだせる時書かれたる者」
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
豊洲は中年にして与力の職を弟直道なほみちに譲り、くだに授けたと云ふ。墓誌に徴するに、与力を勤むることゝなつてから本郷に住んだ。致仕の後には「下帷郷南授徒」と書してある。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
次で山陽はを新町に下して、京都に土著した。嘗て森田思軒の引いた菅茶山の蘭軒に与ふる書は、此比裁せられたものであらう。当時の状況を察すれば、書に怨懟ゑんたいの語多きは怪むことをもちゐない。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)