左衛門さえもん)” の例文
留守るす宅の人の少ない中へ姫君を置いて行くのを尼君は心配して、賢い少将の尼と、左衛門さえもんという年のいった女房、これと童女だけを置いて行った。
源氏物語:55 手習 (新字新仮名) / 紫式部(著)
木村長門ながと薄田隼人生すすきだはいとのしょうら、名ある大将は、六日の戦いに多くは覚悟の討死を遂げてしまって、ただ真田左衛門さえもん長曾我部盛親ちょうそがべもりちかや、毛利豊前守ぶぜんのかみなどが、最後の一戦を待っているばかりであった。
忠直卿行状記 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
そのとき、少弐の隊にいた饗庭あえば弾正だんじょう左衛門さえもんが、頼尚の馬前へ来て
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
会者、碧梧桐、癖三酔、碧童、左衛門さえもん、酔仏、一転等。
五百句 (新字旧仮名) / 高浜虚子(著)
左衛門さえもん乳母めのとといって、源氏からは大弐だいにの乳母の次にいたわられていた女の、一人娘は大輔たゆう命婦みょうぶといって御所勤めをしていた。王氏の兵部ひょうぶ大輔である人が父であった。
源氏物語:06 末摘花 (新字新仮名) / 紫式部(著)
左衛門さえもんも一行の中に知人があったため、その僧のもてなしに心を配っていた。こうした家ではそれぞれの懇意な相手ができていて、馳走ちそうをふるまったりするものであったから。
源氏物語:55 手習 (新字新仮名) / 紫式部(著)
六条の御息所みやすどころ左衛門さえもんの庁舎へ斎宮がおはいりになったので、いっそう厳重になった潔斎的な生活に喪中の人の交渉を遠慮する意味にたくしてその人へだけは消息もしないのである。
源氏物語:09 葵 (新字新仮名) / 紫式部(著)