勝又が名を言うと「山けえ」と老人らしい声がしたがそのまま寂ッそりとする。「御馳走さまで」と、案内者は水の礼を述べて、いよいよ裾野の中へ入る。
しかも、古びた家の寂っそりとした中で、そのような物音を聴いたとすれば、誰しも堪えがたい恐怖の念に駆られるのが当然であろう。かえって滝人には、それが残虐な快感をもたらした。
太郎坊へ着いて見ると、戸は厳重に釘づけにされ、その上に材木を筋交えに抑えにして、鋼線で結びつけてあるが、寂ッそりとして、人の気はなく、案内者の咳払いが、沈んだ空気を乱しただけだ。
“寂(わび・さび)”の解説
わび・さび(侘《び》・寂《び》)は、慎ましく、質素なものの中に、奥深さや豊かさなど「趣」を感じる心、日本の美意識。美学の領域では、狭義に用いられて「美的性格」を規定する概念とみる場合と、広義に用いられて「理想概念」とみる場合とに大別されることもあるが、一般的に、陰性、質素で静かなものを基調とする。本来は侘(わび)と寂(さび)は別の意味だが、現代ではひとまとめにして語られることが多い。茶の湯の寂は、静寂よりも広く、仏典では、死、涅槃を指し、貧困、単純化、孤絶に近く、さび(寂)はわびと同意語となる。人の世の儚(はか)なさ、無常であることを美しいと感じる美意識であり、悟りの概念に近い、日本文化の中心思想であると云われている。
(出典:Wikipedia)
(出典:Wikipedia)