大音寺前だいおんじまえ)” の例文
堤から下りて大音寺前だいおんじまえの方へ行く曲輪外くるわそとの道もまた取広げられていたが、一面に石塊いしころが敷いてあって歩くことができなかった。
里の今昔 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
と繰返しいさめる妹のことばもききいれず、一心に創作に精進しょうじんし、大音寺前だいおんじまえの荒物屋の店で、あの名作「たけくらべ」の着想を得たのであった。
樋口一葉 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
それから一帯吉原田圃で、この方に太郎稲荷(この社は筑後ちくご柳川やながわ立花たちばな家の下屋敷内にある)の藪が見え、西は入谷田圃に続いて大鷲おおとり神社が見え、大音寺前だいおんじまえの方へ、吉原堤に聯絡れんらくする。
浅草の、大音寺前だいおんじまえという吉原に近いところで荒物店あらものやを出すとかいうから、そのうちに吉原を素見ひやかしながら、あの辺を通って見ようといったりして
田沢稲船 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
堤をおりると左側には曲輪くるわの側面、また非常門の見えたりする横町が幾筋もあって、車夫や廓者くるわものなどの住んでいた長屋のつづいていた光景は、『たけくらべ』に描かれた大音寺前だいおんじまえの通りと変りがない。
里の今昔 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
その後下谷したや竜泉寺町に移った。俗に大音寺前だいおんじまえという場処で、吉原の構裏かまえうらであった。一葉の家は京町きょうまちの非常門に近く、おはぐろどぶ手前側てまえがわであったという。
樋口一葉 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
あたくしは影響のもとという言葉をつかったが、それは取り下げるとしてみても、その引例の多いことは、ちょっと考えると、「たけくらべ」などは、浅草吉原裏のくるわにちかい、大音寺前だいおんじまえという