和蘭おらんだ)” の例文
それはまぎれもなく金銀で飾つた見事な和蘭おらんだ時計で、無二膏むにかうでベツトリと鐘の内側に貼り付けて置いたのは驚くべき企みでした。
有名の和蘭おらんだ医師高野長英が姓名を変じて青山百人まち(現今の南町六丁目)にひそみ、捕吏とりかたにかこまれて自殺したのは、嘉永三年十月の晦日みそかである。
半七捕物帳:54 唐人飴 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
天文てんもん年中種子たねしまから鉄砲が伝わった時分に、やはり和蘭おらんだ人か葡萄牙ぽるとがる人が輸入した西洋式の武具であって、あたかも桃の実のように真ん中で割れて、その割れ目が高く盛り上り
嘉永五年に池辺啓太いけべけいたが熊本で和蘭おらんだの砲術を教へた時、横井は門人をつて伝習させた。池辺は長崎の高島秋帆たかしましうはんの弟子で、高島が嫌疑をかうむつて江戸に召し寄せられた時、一しよに拘禁せられた男である。
津下四郎左衛門 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
ヸオロンゆる和蘭おらんだ
第二邪宗門 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
「その殿樣が近頃和蘭おらんだ舶來はくらいの素晴らしい遠眼鏡を手に入れ、二階の縁側から、あちらこちらと眺めるのを樂しみにしてゐた——といふのがことの起りで」
「この度公儀から御貸下の和蘭おらんだ時計と同じのものを造るとしたら、細工に何日くらゐかゝりませうか」
長崎へ持つて行つて、和蘭おらんだの商人に賣りますと、そんな小さい物が、何千兩、何萬兩もするさうで
和蘭おらんだの國から献上になつて長崎奉行が早馬で江戸の上樣にお屆けしたといふ品ですよ」
最初あれは和蘭おらんだ人が持つてゐたが、難破して、それを救つた船頭の手に入り、その船頭は金に困つて三つのうち二つを燕女の父親——今田屋茂左衞門に賣り、今田屋はそのうちの一つを
慾張るなよ、——石崎丹後もあの珠のせゐでお役罷免ひめんになつたのだ、——船頭宗助に卷き上げられたもとの持主——和蘭おらんだ人からの訴へがあつたので、公儀から長崎に送り長崎奉行の手からそれを
狙つた和蘭おらんだ渡りの短銃も、後の證據に取つてある——
「何んだいその和蘭おらんだの輕燒見たいなのは?」