劉封りゅうほう)” の例文
まだ何もさとらない劉封りゅうほうは、ただ彼の心事をいぶかるにとどまっていたが、やがて成都の急使は、漢中王の命をここに伝えて
三国志:10 出師の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
しかし、趙雲ちょううんらも、孔明の言を信じられず、玄徳の不安もあって、ひそかに劉封りゅうほうに一軍をつけて黄忠救援におもむかしめた。
三国志:09 図南の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「関羽を敵に討たせたのは、味方の劉封りゅうほう孟達もうたつの二人でした。呉に仇を報う前に、彼らのご処分を正さなければ、復讐戦の意義が薄れましょう」
三国志:10 出師の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
巴丘はきゅうという所まで来ると、彼方に荊州の一軍が江頭の道を切りふさいだという。物見を放ってうかがわせると、関羽の養子関平かんぺい劉封りゅうほうの二将が
三国志:08 望蜀の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
寇封こうほうの歓びはいうまでもない。その場で、姓もりゅうに改め、すなわち劉封りゅうほうと改め、以後、玄徳を父として拝すことになった。
三国志:06 孔明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
龐統を軍中の相談役とし、関平かんぺい劉封りゅうほうも中軍にとどめ、黄忠と魏延とは、一を先鋒に、一を後備に分け、遠征軍の総数は精鋭五万とかぞえられた。
三国志:08 望蜀の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
また、関平かんぺい劉封りゅうほうとは各五百人を率して、硫黄いおう焔硝えんしょうをたずさえ、博望坡の両面より、火を放って敵を火中につつめ
三国志:07 赤壁の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「魏へ走れば、曹丕そうひが重く用いてくれるに違いありません」と、主に投降をすすめ、同じ城にいる劉封りゅうほうにも告げず、わずか五、六十騎を連れて夜中、脱走してしまった。
三国志:10 出師の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
関平かんぺい劉封りゅうほうの二人は、席を抜けて、外にいた三百余の関門兵を、遠くへ引退がらせてしまった。
三国志:09 図南の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
横道から米倉山の一端へ出て、の損害をさらに大にしたものは、蜀の劉封りゅうほう孟達もうたつであった。
三国志:09 図南の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
曹仁、曹洪らは、辛くも火中を脱したが、道に待っていた趙雲にはばまれて、さんざんに打ちのめされ、あわてて後へ戻ると、劉封りゅうほう糜芳びほうが一軍をひきいて、前を立ちふさいだ。
三国志:07 赤壁の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
やがて、またここへ、趙雲ちょううん関平かんぺい劉封りゅうほうなどの諸将も各〻の兵をまとめて集まった。
三国志:07 赤壁の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
次に、糜竺びじく糜芳びほう劉封りゅうほうの三名を呼び
三国志:08 望蜀の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)