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八掬脛
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やつかはぎ
ふりがな文庫
“
八掬脛
(
やつかはぎ
)” の例文
また足長とはないが、上野利根郡後閑村には
八掬脛
(
やつかはぎ
)
社というのがあって、
長髄
(
ながすね
)
明神というとの事が、松屋筆記(七十八)に見えている。
手長と足長:土蜘蛛研究
(新字新仮名)
/
喜田貞吉
(著)
それ故にこそ今も諸国の古塚を
発
(
あば
)
くと、往々にして無名の
八掬脛
(
やつかはぎ
)
や
長髄彦
(
ながすねひこ
)
の骨が現れ、もしくは現れたと語り伝えて尊信しているのである。
山の人生
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
越後風土記には、奈良朝当時なおこの地に属類の多く存した或る種族を以て、崇神天皇朝の
八掬脛
(
やつかはぎ
)
の
遺孽
(
いげつ
)
で、その先祖は土雲だとある。
手長と足長:土蜘蛛研究
(新字新仮名)
/
喜田貞吉
(著)
諸国に数多き
大人
(
おおひと
)
の足跡の話は、話となって極端まで誇張せられ、加賀ではあの国を三足であるいたという大足跡もありますが、もとは
長髄彦
(
ながすねひこ
)
もしくは上州の
八掬脛
(
やつかはぎ
)
ぐらいの
山の人生
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
常陸風土記には国巣を俗に土蜘蛛または
八掬脛
(
やつかはぎ
)
というとある。そして越後風土記には、この国に古く八掬脛というものがいて、土雲の後だとある。
国栖の名義
(新字新仮名)
/
喜田貞吉
(著)
▼ もっと見る
在昔常陸には蝦夷すなわち山の
佐伯
(
さえき
)
、野の佐伯のほかに、土蜘蛛すなわち
八掬脛
(
やつかはぎ
)
なるものの住せしことを説けるによりて、いっそうこの説に根拠あらしめ、ために余もまたかつて
武士を夷ということの考
(新字新仮名)
/
喜田貞吉
(著)
八掬脛
(
やつかはぎ
)
というような人名らしきものを作ったり、あるいはその住所として伝えられた土地の名によって、
兄磯城
(
えしき
)
、
弟磯城
(
おとしき
)
、
菟狭津彦
(
うさつひこ
)
、
八女津媛
(
やめつひめ
)
などと、その地の酋長を呼称したりして
日本における史前時代の歴史研究について
(新字新仮名)
/
喜田貞吉
(著)
八
常用漢字
小1
部首:⼋
2画
掬
漢検準1級
部首:⼿
11画
脛
漢検1級
部首:⾁
11画
“八”で始まる語句
八
八幡
八百屋
八釜
八歳
八重
八卦
八百万
八丁堀
八代