“八掬脛:やつかはぎ” の例文
“八掬脛:やつかはぎ”を含む作品の著者(上位)作品数
喜田貞吉3
柳田国男1
“八掬脛:やつかはぎ”を含む作品のジャンル比率
歴史 > 日本史 > 近畿地方50.0%
社会科学 > 風俗習慣・民俗学・民族学 > 伝説・民話[昔話]6.7%
歴史 > 日本史 > 日本史3.5%
(注)比率=対象の語句にふりがなが振られている作品数÷各ジャンルの合計の作品数
越後風土記には、奈良朝当時なおこの地に属類の多く存した或る種族を以て、崇神天皇朝の八掬脛やつかはぎ遺孽いげつで、その先祖は土雲だとある。
手長と足長:土蜘蛛研究 (新字新仮名) / 喜田貞吉(著)
また足長とはないが、上野利根郡後閑村には八掬脛やつかはぎ社というのがあって、長髄ながすね明神というとの事が、松屋筆記(七十八)に見えている。
手長と足長:土蜘蛛研究 (新字新仮名) / 喜田貞吉(著)
常陸風土記には国巣を俗に土蜘蛛または八掬脛やつかはぎというとある。
国栖の名義 (新字新仮名) / 喜田貞吉(著)
部曲が対立して争闘してやまなかった時代には、いわゆる鬼の子はすなわち神の子で、それ故にこそ今も諸国の古塚をあばくと、往々にして無名の八掬脛やつかはぎ長髄彦ながすねひこの骨が現れ、もしくは現れたと語り伝えて尊信しているのである。
山の人生 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
諸国に数多き大人おおひとの足跡の話は、話となって極端まで誇張せられ、加賀ではあの国を三足であるいたという大足跡もありますが、もとは長髄彦ながすねひこもしくは上州の八掬脛やつかはぎぐらいの、やや我々より大きいという話ではなかったかと思われます。
山の人生 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
『常陸風土記』にも、在昔常陸には蝦夷すなわち山の佐伯さえき、野の佐伯のほかに、土蜘蛛すなわち八掬脛やつかはぎなるものの住せしことを説けるによりて、いっそうこの説に根拠あらしめ、ために余もまたかつて、か考えたることありしが、今にして思うにしからず。
武士を夷ということの考 (新字新仮名) / 喜田貞吉(著)