京阪かみがた)” の例文
金剛寺坂の若松屋惣七の屋敷へ行ってみると若松屋惣七と紙魚亭主人の麦田一八郎とが、京阪かみがたへ行くまえにちょっと帰って来ていた。
巷説享保図絵 (新字新仮名) / 林不忘(著)
西依にしより成斎は肥後生れの儒者で、京都の望楠書院で鳴らし、摂津の今津いまづへも十年ばかり住むでゐて弟子取でしとりをしてゐたので、京阪かみがたではよく名前が通つてゐる。
今の私には、その氣持ちがかなりはつきり理解できるが、當時は、それを怜悧な保身術と解し、京阪かみがたの人間としての本性とむすびつけて考へないわけにいかなかつた。
「鱧の皮 他五篇」解説 (旧字旧仮名) / 宇野浩二(著)
わざと京阪かみがた言葉のまねをして、はしのさきにつけたこのわたを舌の上にたらす。
かんがへると、(をかしてならん。)と一寸ちよつと京阪かみがた言葉ことば眞似まねる。串戲じようだんではない。
大阪まで (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
京阪かみがたでは、大高、潮田、中村勘助、こう三名は元よりの大丈夫。岡野、小野寺のせがれも二心はござるまい。江戸には堀部父子おやこ、奥田孫太夫、田中貞四郎、倉橋伝助、これ等はたしかに同心の者』
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
麻布十番の馬場やしきのうちへ、お高を置きざりにして京阪かみがたへ行くときに持って出たものらしいが、磯五にしても、はっきりしないのだった。
巷説享保図絵 (新字新仮名) / 林不忘(著)
お高は、磯五と、その旅の武士さむらいとの関係が気になって、磯五が京阪かみがたで何をしたのか、早く聞きたくてならなかった。磯五は、何もいわないのだ。
巷説享保図絵 (新字新仮名) / 林不忘(著)