久子ひさこ)” の例文
正儀まさのり、正秀、正平、留守の兄弟たちも、俯向うつむきがちに母に従って来た。従者や老臣は涙を拭うていたが、久子ひさこの面にも、兄弟たちの眼にも、涙はなかった。
日本名婦伝:大楠公夫人 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
女先生の名は大石久子ひさこ。湖のような入り江の向こう岸の、大きな一本松のある村の生まれである。
二十四の瞳 (新字新仮名) / 壺井栄(著)
その列を前に、戦住居いくさずまい伽藍がらんをうしろに、故楠木判官正成くすのきほうがんまさしげの妻、未亡人の久子ひさこは、相対して立っていた。
日本名婦伝:大楠公夫人 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
三木仁兵衛みきにへえの妻である。——光圀の母久子ひさこが、妊娠中から身を預けられていた棚町たなまちの三木家の妻女。
梅里先生行状記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
頼房よりふさの側室久子ひさこを母として生れたが、生れ出る時から、父の家庭に、ひと方ならぬわずらいを起したらしい。……それがため父は、悩みに悩んだあげく、妊娠みごもっているわしの母へ。
梅里先生行状記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)