両川りょうせん)” の例文
……かく両川りょうせんにも申し伝え、異存なくば、宗治の切腹を見とどけた後、直ちに誓紙を取りかわすであろうとの明言にござりました
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
たわごとをかせ。もともと、両川りょうせんの地は、旧蜀のもので、今の蜀のものじゃない。益州の南だってそうだ。この俺のものだ。玄徳の領分でもなかったし、劉禅りゅうぜんの土地でもない。
三国志:10 出師の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
いわるるか。東西両川りょうせんの人士はみな孔明なくんば魏延こそ蜀の将来を担う者と嘱目しょくもくしていたのではありませんか。またあなたもその自負信念があればこそ桟道を焼いたのでしょう
三国志:11 五丈原の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「いまや東西両川りょうせんの民は、ことごとく君の徳になつき、ひそかにわが皇叔こうしゅくが、名実ともに王位に即かれて、内は民を定め、外には騒乱の賊をしずめ給わんことを、心からねがっておる」
三国志:09 図南の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
かく両度まで、われは天下に面目を欠き、毛利は武門を立てて来たことゆえ、このたびは高松の守将清水宗治に死を与えるとも、決して両川りょうせん(吉川・小早川)の恥にはなるまいと思う。
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
さもあらばあれ、毛利も誉れある武門の家だ、両川りょうせんも非凡といえる将器である。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
けれど吉川、小早川の両川りょうせんは、鹿之介が再三の詫入れもきかず、飽くまで
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
両川りょうせんの民もよくその徳になつき、成都の町は夜も門戸を閉ざさなかった。
三国志:10 出師の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
最後の努力も何の効なく、毛利輝元を始め吉川、小早川の両川りょうせんは依然
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
輝元を中心に、その両川りょうせんの意見が一致し、毛利家はじまって以来の、大戦端を予測しながら、全軍四万が方向を転じて、この備中の境へ出てくるまでには、どうしてもなお半月以上の日数はかかる。
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)