“ぶんたい”のいろいろな漢字の書き方と例文
語句割合
分隊75.0%
文台25.0%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
此人このひと海軍兵學校かいぐんへいがくかう生活中せいくわつちう大食黨たいしよくたう巨魁おやだまで、肺量はいりやう五千二百、握力あくりよく七十八、竿飛さをとびは一じやうじやくまでんで、徒競走フートレース六百ヤードを八十六びやうはしつたといふをとこ、三ねん在學中ざいがくちうつね分隊ぶんたいだいばん漕手さうしゆとして
韓凹巷かんあふこうの記する所に拠るに、北条霞亭の南帰は、父適斎に別れてより後八年、其医学の師広岡文台ぶんたいに別れてより後十三年であつた。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
後庚午の年に、再び広岡文台ぶんたいを訪うて其死に驚く紀事に、「凡経八年南帰」と云つてあるからである。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
霞亭と其医学の師広岡文台ぶんたいとは、別後久しきを経て再会すべきであつたに、文台は期に先だつて歿した。凹巷の所謂「訪我顧茅茨」の日は、霞亭が此恨事こんじけみする直前と直後とにあつた。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)