文台ぶんたい)” の例文
韓凹巷かんあふこうの記する所に拠るに、北条霞亭の南帰は、父適斎に別れてより後八年、其医学の師広岡文台ぶんたいに別れてより後十三年であつた。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
後庚午の年に、再び広岡文台ぶんたいを訪うて其死に驚く紀事に、「凡経八年南帰」と云つてあるからである。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
霞亭と其医学の師広岡文台ぶんたいとは、別後久しきを経て再会すべきであつたに、文台は期に先だつて歿した。凹巷の所謂「訪我顧茅茨」の日は、霞亭が此恨事こんじけみする直前と直後とにあつた。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)