“韓凹巷”の読み方と例文
読み方割合
かんあふこう100.0%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
韓凹巷かんあふこうの記する所に拠るに、北条霞亭の南帰は、父適斎に別れてより後八年、其医学の師広岡文台ぶんたいに別れてより後十三年であつた。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
又嵯峨樵歌せうかの首に載せてある五古に韓凹巷かんあふこうが、「発憤年十八、何必守弓箕、負笈不辞遠、就師欲孜々」と云ふに見て知られる。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
韓凹巷かんあふこうは「依然旧書院、長謂君在茲、鸞鳳辞荊棘、烏鳶如有疑」と云つてゐる。山陽は「素愛嵐峡山水、就其最清絶処縛屋」と云つてゐる。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)