“ちょうそ”のいろいろな漢字の書き方と例文
語句割合
彫塑40.0%
長沮30.0%
晁錯10.0%
聴訴10.0%
重祚10.0%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
そのために前記諸氏の間で色々評議を重ねているところへ古賀得四郎氏の友人、春吉の医師松田盛氏の紹介で糸島出身の彫塑ちょうそ家津上昌平氏がこの評議に参加した。
梅津只円翁伝 (新字新仮名) / 夢野久作杉山萠円(著)
長沮ちょうそ桀溺けつできの二人が、ならんで畑を耕していた。巡歴中の先師がそこを通りがかられ、子路に命じて渡場をたずねさせられた。すると長沮が子路にいった。——
現代訳論語 (新字新仮名) / 下村湖人(著)
まずしうして良妻をおもい、時艱にして良相をおもう。徳川末世まつせ晁錯ちょうそたる水野越前守は、廃蟄はいちつ後、いまだ十箇月ならざるに、再び起って加判列の上席に坐しぬ。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
彼は責任を知る晁錯ちょうそなり、無学なる(比較的に)王安石おうあんせきなり。彼は文化十二年寺社奉行となり、爾来じらい大坂城代じょうだいとなり、京都所司代しょしだいとなり、西丸にしのまる老中となり、遂に天保五年本丸ほんまる老中となる。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
そして、小次郎を、聴訴ちょうそ門の庭にすえ、どういうわけで、八坂の群盗共の中にいたかを取調べ、理由を聞きとると、むずかしい追及はせず、彼の所持品を、眼のまえに、返してくれた。そして
平の将門 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
孝謙天皇は重祚ちょうそして称徳天皇とも申し、道鏡との関係は称徳天皇と称して後のことであるが、一人の天皇を孝謙とよび称徳とよぶのはわずらわしいからオクリ名の高野天皇を用いることに致します。
安吾史譚:02 道鏡童子 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)