えん)” の例文
旧字:
髪の手ざわりの冷たいことなどもえんな気がして、恥ずかしそうにしている様子が可憐かれんであった源氏は立ち去る気になれないのである。
源氏物語:27 篝火 (新字新仮名) / 紫式部(著)
つくろわねどもおのずからなるももこびは、浴後の色にひとしおのえんを増して、おくれ毛の雪暖かきほおに掛かれるも得ならずなまめきたり。
書記官 (新字新仮名) / 川上眉山(著)
「まあ、」と飛んだ顔をして、斜めに取って見透みすかした風情は、この夫人ひとえんなるだけ、中指なかざし鼈甲べっこうを、日影に透かした趣だったが
婦系図 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
たださえ美人の婆惜ばしゃくが、その夜は、わけてもえんだった。宋江そうこう愛想あいそがいいのは当り前だが、張三ちょうさんへのりなしも並ならずこまやかだった。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「かんざしのあしではかるや雪の寸」などというのも、私の子供心には別だんえんな景色とも思わず、ただ眼前の実景と感じていた。
私の父 (新字新仮名) / 堺利彦(著)
なんともむずかゆい気持で、うっそりと腰元の顔をながめていると、このとき腰元は、手の甲を口にあてて、ほほほとえんに笑った。
顎十郎捕物帳:16 菊香水 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
京弥が造り声色こわいろをしながら、したたるばかりのしなをみせつつえんに答えたのをきくと、供侍が提灯をさしつけてきき尋ねました。
評判な美しさというほどでもないが、まゆのところに人に好かれるようにえんなところがあって、豊かな肉づきがほおにも腕にもあらわに見えた。
田舎教師 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
浅黄絖あさぎぬめひきかえしに折びろうどの帯をしめ、薄色の絹足袋きぬたびをはいた年増としま姿は、又なくえんに美しかった。藤十郎は、昔から、お梶を知っている。
藤十郎の恋 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
とて、孤蝶子の美しさは秋の月、眉山君は春の花、えんなる姿は京の舞姫のようにて、柳橋やなぎばしの歌妓にもたとえられる孤蝶子とはうらうえだと評した。
樋口一葉 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
あるひは美しき芸者のともするものに箱を持たせて雪もよひのいとど暗きを恐るるが如くに歩み行く姿のいかにえんなるや。
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
「その惚れられ手は、親分も聴いて居るでしょう、この半歳か一年の間にメキ/\と綺麗になった、金沢町の大地主、江島屋鹿右衛門の一人娘おえん
長州からお輿入こしいれになったとの事ですが、ただ美しいといっても、えんなのと違ってお品よく、見飽きないお姿でした。
鴎外の思い出 (新字新仮名) / 小金井喜美子(著)
唄につれておどけた狐の身振みぶりをしながら次第に輪の側へ近づいて来るのが、———たまたまそれがえんな町娘や若いよめであったりすると、こと可愛かわいい。
吉野葛 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
悄然しょうぜんとしてしおれる雨中うちゅう梨花りかには、ただ憐れな感じがする。冷やかにえんなる月下げっか海棠かいどうには、ただ愛らしい気持ちがする。椿の沈んでいるのは全く違う。
草枕 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
これも客観的の歌にて、けしきもさびしくえんなるに語を畳みかけて調子取りたるところ、いとめずらかに覚え候。
歌よみに与ふる書 (新字新仮名) / 正岡子規(著)
この頃は何かというと木魚を用いるのであるが、またここにもそのポコポコいう音がしておる。空には朧月が出ていてえんな光を漂わしておるというのである。
俳句はかく解しかく味う (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
ハイカラでもなし、えんでもない。ただそういう置土の間にある、小さな野草の紫色が人の目をくに過ぎぬ。
古句を観る (新字新仮名) / 柴田宵曲(著)
新町では木の花踊り、北と南とでは浪花踊り、負けない気になって物言う花も、ここを先途せんどえんを競った。
寄席 (新字新仮名) / 正岡容(著)
帯は銀色に鈍く光る、粗い唐草のような摸様もようであった。薄桃色の帯揚げが、際立ってえんに若々しく見えた。
青年 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
姐御とは言ったが、それは本性ほんしょうのこと、町道場でも武士の家にいるのだから、髪なんかもちゃんと取り上げて、それらしく割りに堅気な、しかし飽くまでえんこしらえ。
魔像:新版大岡政談 (新字新仮名) / 林不忘(著)
着換えるまで自分は何の気もなしにいたけれど、こうして島の宿りに客となって、女の人の着物を借りて着たのかと思うと、脱ぐ段になって一種のえんな感じが起った。
千鳥 (新字新仮名) / 鈴木三重吉(著)
キリスト教では眼でとれたばかりが既に姦婬同然といい、儒書にも宋の華父督が孔父の妻を途に見、目むかえてこれを送り曰く、美にしてえんなりと、竹添たけぞえ先生のせん
母のうしろには、帯もすそもしどけなく、はぎ露出あらわに立ったるお葉のえんなる姿が見えたので、重太郎は山猿のような笑い声を出して、猶予なくその前にひらりと飛んで行った。
飛騨の怪談 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
新古今集しんこきんしゅうの和歌は、ほろび行く公卿くげ階級の悲哀と、その虚無的厭世感えんせいかんの底で歔欷きょきしているところの、えんあやしくなまめかしいエロチシズムとを、暮春の空ににおかすみのように
郷愁の詩人 与謝蕪村 (新字新仮名) / 萩原朔太郎(著)
その肩の辺にもつれかかった崩れた髪の乱らがましさ、顔を隠した袖を抜けてクッキリと白い富士額ふじびたい、腰細くたけ高く、えんせいとを備えた風情ふぜいには、人を悩ますものがある。
八ヶ嶽の魔神 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
釜山ふざん日報主筆、篠崎昇之助氏、その他、水茶屋みずぢゃや券番けんばんの馬賊五人組芸者として天下に勇名を轟かしたおえん、お浜、お秋、お楽、等々その中心の正座が勿体なくも枢密院顧問
近世快人伝 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
さては谷川の岸にを洗いつつ、みち行く貴人にえんなることばを送り、見いだされてその家につかえ、故郷の親兄弟をよろこばせたりしたのかも知れぬが、くだってはそれもことごとく
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
鬘下かつらしたの頭で、元禄模様げんろくもようの着物を着た女は、演壇の金五郎を、またたきもせずに、見つめている。そのえんな姿が、若々しく、美しい。マンは、狐につままれたような気持だった。
花と龍 (新字新仮名) / 火野葦平(著)
ほつほつと咲きほころび(紅梅は咲いていなかった)つつましくえんきそい、まことに物静かな、仙境とはかくの如きかと、あなた、こなた、夢に夢みるような思いにてさまよい歩き
黄村先生言行録 (新字新仮名) / 太宰治(著)
この闖入者は、赤いひげのマドロス氏とは違って、えんになまめいた女でありました。
大菩薩峠:25 みちりやの巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
可悩なやましげなる姿の月に照され、風に吹れて、あはれ消えもしぬべく立ち迷へるに、淼々びようびようたる海のはしの白くくづれて波と打寄せたる、えんあはれを尽せる風情ふぜいに、貫一はいかりをも恨をも忘れて
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
真白きよそおいをして、薄いからかさをさして、「しょんぼりとかあいらしく」たたずんだあの不思議にえんな姿は、いかなるロシア舞踊の傑作にも見られない特殊な美しさを印象しはしないか。
日本精神史研究 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
日暮れごろから、木挽こびき町のさる料理屋の大広間で、社の懇親会があった。雨がびしょびしょ降っていた。庭の木立が白くけむっていた。池の岸に白と紫の大輪の杜若かきつばたえんに水々しく咲いていた。
六月 (新字新仮名) / 相馬泰三(著)
閉じた胸の一時に開けた為め、天成の美も一段の光を添えて、えんなうちにも、何処か豁然からりと晴やかに快さそうな所も有りて、宛然さながらはすの花の開くを観るように、見る眼も覚めるばかりで有ッた。
浮雲 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
我等亦多言するをもちひずといえども、其の明治大正の文芸に羅曼ロマン主義の大道を打開し、えん巫山ふざんの雨意よりも濃に、壮は易水の風色よりも烈なる鏡花世界を現出したるはただに一代の壮挙たるのみならず
「鏡花全集」目録開口 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
その眉のあたりに漂うかすかな光りが、半眼にひらいた眼差まなざしに沿うて流れ、やがて豊かな頬と堅く結ばれた口辺に及んでえん深く輝き出ている。この光りは重厚な二重のあごのところで一旦いったんひきしめられる。
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)
髪いらふ童女どうによが笑顔かぐろくもえんだちにけり父をうち見つ
夢殿 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
こいつの夢にえんな姿を見せて遣れ。1510
神輿みこしの臺をさながらの雲悲みてえんだちぬ。
海潮音 (旧字旧仮名) / 上田敏(著)
えんだちてしなゆる色の連彈つれびき
有明集 (旧字旧仮名) / 蒲原有明(著)
尼そぎえんなる御寺ごもり
泣菫詩抄 (旧字旧仮名) / 薄田泣菫(著)
とさかの色もえんにして
若菜集 (新字旧仮名) / 島崎藤村(著)
いちえんなる花賣はなうり
孔雀船 (旧字旧仮名) / 伊良子清白(著)
えんな人であるに相違ない、今日までまだよく顔を見ることのできないことが残念であると、ふと源氏の胸が騒いだ。困った癖である。
源氏物語:19 薄雲 (新字新仮名) / 紫式部(著)
「わかりません。とつぜん犬射ノ馬場でえんな笑い声を聞いたとおもうと、もう狂蝶のような姿を、外へ走らせておりましたので」
私本太平記:06 八荒帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
しかも、寄進についている六地蔵のその施主は、身分素姓年ごろこそわからぬ、いずれもなまめかしくえんな下町女らしい名まえばかりでした。
が、姿は天より天降あまくだったたええんなる乙女のごとく、国を囲める、その赤く黄にただれたる峰岳みねたけを貫いて、高く柳の間にかかった。
伯爵の釵 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
場面から云えばえんな所であるけれども、太夫の声も三味線のひびきも一向場内にとおらないので、ただその可愛い二人の男女の動くのばかりを見ていると
蓼喰う虫 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
「おお、いやだ」とまゆをあつめる。えんなる人の眉をあつめたるは愛嬌あいきょうをかけたようなものである。甘き恋にい過ぎたる男は折々のこの酸味さんみに舌を打つ。
野分 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)