鵯越ひよどりご)” の例文
教盛のりもり〕清盛から三番目の弟。——門脇殿かどわきどのというのが通り名。職は中納言。長男通盛みちもりは、鵯越ひよどりごえで戦死。次子能登守教経のりつねがある。年五十七。
随筆 新平家 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
しからん。鳥の羽におびやかされた、と一の谷に遁込にげこんだが、はかままじりに鵯越ひよどりごえを逆寄さかよせに盛返す……となると、お才さんはまだ帰らなかった。
吉原新話 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
山道を何とも思わなかったということは源氏の鵯越ひよどりごえだけではなく、昔の武士は山が戦の勝利に貢献するものであれば、山を使おうという気持が非常にあった。
故郷七十年 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
鵯越ひよどりごえの荒武者でさへ必要ではなかつた! ジェノバの人コロンブスでも必要ではなかつた! 然り然して裸一貫江戸へのぼつた岩崎弥太郎ですらこれほどの一大勇猛心は持たなかつた! 見給へ諸君
その進路だの、鵯越ひよどりごえの攻略などについては、もう読者の二、三氏から投書もあって、これにも古来の研究や新説が入り交じっているらしい。
随筆 新平家 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そして京都から義経軍の潜行したいわゆる、鵯越ひよどりご間道かんどう”の径路を、その豊かな郷土史の見地から何くれとなく説明された。
随筆 新平家 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
彼は桶狭間おけはざまの信長に思い合わせ、鵯越ひよどりごえの故智にならって、あの当然に選ばなければならないはずの三道のいずれをも捨てて、まるで方角ちがいな
宮本武蔵:05 風の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
鵯越ひよどりごえのけんへまわるなどという事は、平家方はもとよりの事、彼の帷幕者いばくしゃでさえ、誰も予想していなかった。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「わしは、なお、山路を深くはいって、鵯越ひよどりごえから敵を真下にのぞみ——」
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
鵯越ひよどりごえのうえに出る道を知っておるか」
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)